今日は、2連発、ですよわよ。
最近、44歳の女性患者が、腎臓透析を中止して亡くなったという事故?か事件?がありましたね。
え、知らんの?
東京都福生市で(これ、ふっさ と読むのよ。私は関東に住んでいたので読めますが)、市民病院に他医院から来た透析患者の女性が、透析中止か、それとも首から管を入れて再会するか、決めなさい、と医師に勧められて、なぜか「中止します」と言ったらしい。中止=死 を意味します。
どうやら、この方、糖尿病患者だったらしいです。それももう透析でしか生きられないと言う、かなり重度の糖尿病で。
44歳という若さなのに、いたわしいことです。
多分、初期に糖尿病ということに気付かず、気付いたときには既に遅し。
腎臓の細い血管がもうダメになり=糖尿病腎症、と言いますが、、、透析しか生きられなくなっていたのでしょう。
なぜもっと早く。。。というのは酷でしょうね。だって若いし、誰も糖尿病などとは思わないでしょうし。3人ねお子さんを産んでいるので、本人は大丈夫と思っていたでしょうし。
あのね。腎臓が悪い人は、子供を産んではいけないの。
生むという事は、簡単ではなく、特に腎臓病の人は、妊娠腎になりますよ。
これは昔は、妊娠中毒といって、とても恐れられましたよ。
私も又、息子を産むときに 高血圧 になってしまいました。
どうやら腎臓が弱いらしいです。
産婦人科には、次の子は諦めなさい、と言われてしまいました。
ですから私は諦めました。なので子供は一人、です。
でこの患者さんは、シャントという血管の管がボロボロになり、この福生病院を紹介されてきたのです。
ところが、その第一日目にですよ! その日に、あっさりと「中止します」という書類にハンコを推してしまったのです。
ありゃまあ、ちょっと早まったんでは?とか私は思いますね。
もう少し、熟慮すべきでしたね。何でなんだろう?
首からの血管に管を通すことは出来たはずなのに・・・。
首から、というと誰でもありゃ~と思うでしょうが、私は昔、中心静脈に首から管を入れてました。
それを何日もやっておりました。辛そうですが、本人はそんなに苦しいわけじゃないんです。
で、で、ですよ。他にもやり方はあるんです。
そんなに即決する必要はないんです。
なので、中止して数日後、段々と尿毒症が酷くなり、息苦しくなるわけです。
で彼女はその時始めて
「あれ? 死ぬのって、こんなに苦しいのか・・・だったら、もう一度、中止を中止して(これって変な表現ですが)、再び苦しい生を生きてみたい」
と考えを変えますが、時既に遅し。
なぜか主治医に通じず、又悪いことにご主人はストレスで胃潰瘍になり、肝心なときに彼女の側には誰も居なかった・・・
彼女は亡くなりました。透析を中止して、僅か五日後でした・・・。
何だか、切ない哀しいハナシですね。
そしてこれ、病院が悪い、いや本人が承知していたんだから、いや医師を責めるのは・・・どうだこうだと今はメディアでうるさいです。
これは安楽死、ではありません。
いいですか、これは安楽死じゃないんです。
苦痛を緩和するということは、イコール=モルヒネ投与、ということなのです。
簡単に、死を選ぶのはやめましょう。
私は、クリスチャンとしても、神様から頂いた生は、全うしたいと思います。
そして・・・
簡単に、死を選ばせないで!
最近、44歳の女性患者が、腎臓透析を中止して亡くなったという事故?か事件?がありましたね。
え、知らんの?
東京都福生市で(これ、ふっさ と読むのよ。私は関東に住んでいたので読めますが)、市民病院に他医院から来た透析患者の女性が、透析中止か、それとも首から管を入れて再会するか、決めなさい、と医師に勧められて、なぜか「中止します」と言ったらしい。中止=死 を意味します。
どうやら、この方、糖尿病患者だったらしいです。それももう透析でしか生きられないと言う、かなり重度の糖尿病で。
44歳という若さなのに、いたわしいことです。
多分、初期に糖尿病ということに気付かず、気付いたときには既に遅し。
腎臓の細い血管がもうダメになり=糖尿病腎症、と言いますが、、、透析しか生きられなくなっていたのでしょう。
なぜもっと早く。。。というのは酷でしょうね。だって若いし、誰も糖尿病などとは思わないでしょうし。3人ねお子さんを産んでいるので、本人は大丈夫と思っていたでしょうし。
あのね。腎臓が悪い人は、子供を産んではいけないの。
生むという事は、簡単ではなく、特に腎臓病の人は、妊娠腎になりますよ。
これは昔は、妊娠中毒といって、とても恐れられましたよ。
私も又、息子を産むときに 高血圧 になってしまいました。
どうやら腎臓が弱いらしいです。
産婦人科には、次の子は諦めなさい、と言われてしまいました。
ですから私は諦めました。なので子供は一人、です。
でこの患者さんは、シャントという血管の管がボロボロになり、この福生病院を紹介されてきたのです。
ところが、その第一日目にですよ! その日に、あっさりと「中止します」という書類にハンコを推してしまったのです。
ありゃまあ、ちょっと早まったんでは?とか私は思いますね。
もう少し、熟慮すべきでしたね。何でなんだろう?
首からの血管に管を通すことは出来たはずなのに・・・。
首から、というと誰でもありゃ~と思うでしょうが、私は昔、中心静脈に首から管を入れてました。
それを何日もやっておりました。辛そうですが、本人はそんなに苦しいわけじゃないんです。
で、で、ですよ。他にもやり方はあるんです。
そんなに即決する必要はないんです。
なので、中止して数日後、段々と尿毒症が酷くなり、息苦しくなるわけです。
で彼女はその時始めて
「あれ? 死ぬのって、こんなに苦しいのか・・・だったら、もう一度、中止を中止して(これって変な表現ですが)、再び苦しい生を生きてみたい」
と考えを変えますが、時既に遅し。
なぜか主治医に通じず、又悪いことにご主人はストレスで胃潰瘍になり、肝心なときに彼女の側には誰も居なかった・・・
彼女は亡くなりました。透析を中止して、僅か五日後でした・・・。
何だか、切ない哀しいハナシですね。
そしてこれ、病院が悪い、いや本人が承知していたんだから、いや医師を責めるのは・・・どうだこうだと今はメディアでうるさいです。
これは安楽死、ではありません。
いいですか、これは安楽死じゃないんです。
苦痛を緩和するということは、イコール=モルヒネ投与、ということなのです。
簡単に、死を選ぶのはやめましょう。
私は、クリスチャンとしても、神様から頂いた生は、全うしたいと思います。
そして・・・
簡単に、死を選ばせないで!