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日本歴史紀行

歴史紀行 特別編 13 日露戦争〜日本海海戦 8




日露戦争〜日本海海戦 8

バルチック艦隊迫る


明治37年10月15日、ロシア政府は、第2太平洋艦隊【ロシアバルト海艦隊】を指揮するロジェストウェンスキー中将に対し、旅順港を母港にしているロシア旅順艦隊が日本の連合艦隊に苦戦し、なお、旅順要塞が再三、日本陸軍に攻め込まれている報を受け、日本海に出撃する命令を出しました。


一方の日本の連合艦隊、東郷平八郎司令長官は、明治37年12月25日までにロシア旅順艦隊を全滅せしめ、旗艦三笠以下の修理と補給、それに戦況報告と打ち合わせのために、日本へ帰還します。


そして明くる明治38年1月2日、日本陸軍は203高地攻略から突破口を見出した旅順要塞を陥落させました。


帰国し、戦況報告を終え、次期作戦会議において、東郷平八郎司令長官は、ロシア太平洋第2艦隊が大西洋を南下して日本海に迫りつつある報告を受け、来るロシアバルト海艦隊【日本側の通称〜バルチック艦隊】を迎え撃つ決戦に備え、射撃、発射等の猛訓練を艦隊に課します。








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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@nekono-hironya おはようございます。
外交の勝利もありますね。
日英同盟も功を奏してます。補給や寄港の拒否。
バルチック艦隊が日本海へ来る頃には、遠洋の疲れや、兵士の士気も限界に来ていたでしょう。
nekono-hironya
日露戦争で勝てたのは、明治の元勲が外交交渉を巧みに行っていたからでしょう。
 次いでに東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢したように人事も人材適所でした。
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