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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 35  桶狭間の戦い〜今川義元、尾張へ


尾張 沓掛城


佑福寺勅使門






佑福寺本堂



桶狭間の戦い〜今川義元、尾張へ


永禄三年五月十二日、今川義元殿は駿府から物見遊山の如く、輿に揺られながら尾張外れの沓掛城に入った。
 

元康君が三河の衆を率いて大高城へ兵糧を入れるべく、出立した後を追う様に大軍で沓掛城に入ったものの、軍勢の喧騒を嫌った義元殿は城を出て、勅使門が見事と噂の佑福寺を目指した。


今は亡き雪斎禅師が甲斐の武田、相模の北条と三国同盟を結んで以降、戦に出ていない義元殿は、梅雨入りになろうとしているこの時季、戦場の帯陣に不快さを露わにしていた。


信長の治める尾張とはいえ、領国の隅にあたる寺社、人心はすでに大国、今川氏が戦に勝って次の領主になろうとするとみて、義元殿の輿を佑福寺の住持、若い僧らが山門前で出迎えた。

〜住持、世話をかける〜

義元殿は住持に声をかけ、輿から降りた。
陣中そのものを嫌い、畳と屋根のある寺を望み、この地方では珍しい帝の勅使を迎えられた佑福寺を寝所とした。





今川義元本陣跡



佑福寺 
愛知県愛知郡東郷町春木
かつての尾張、三河国境。境川に近く、桶狭間の戦いの折、義元殿が帯陣したと伝わる。





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