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日本歴史紀行

歴史めぐり 街物語 9 ‐ 3 静岡県 袋井市 3

袋井市には、奈良、平安〜鎌倉、室町それぞれの時代に開基し、時の帝や征夷大将軍、戦国大名に篤く信仰された三つの名刹があり、遠州三山として崇敬されています。







遠州三山〜法多山 尊永寺

袋井市 豊沢 2777





~法多山 略縁起~
山号を法多山【はったさん】と称する尊永寺は、奈良時代の725年 神亀2年、聖武天皇が見た東方よりあらわれた観音の夢に従ったところ、厄災を免れたことから、行基上人に観音の居場所を探す勅命を出しました。


行基はこの地を大悲観音応臨の聖地と定め、自ら刻んだ聖観世音菩薩像を祀りました。

これが法多山の本尊とされ、以来 厄除け観音として信仰を集めることになりました。

平安時代後期以降の白河、後白河天皇といった平家、源氏といった二大武家政権を向こうに院政を敷いた歴代の院からも信仰あつく、勅願寺とされて繁栄しました。


室町時代には、法多山の田遊祭が行われはじめ、五穀豊穣を願う予祝儀礼として続いてます。


戦国時代になると、今川氏、豊臣氏、徳川氏と遠州にゆかりの深い武家の信仰を得て、1602年 慶長7年、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康に5万石の格式を与えられて栄えました。






尊永寺 仁王門

柿葺き、入母屋造の仁王門は、室町時代の建立とされています。





尊永寺 本堂


間口10間、奥行15間に及ぶ大伽藍を現代建築の粋を集めて、建立当時の姿を想定して再建したもので、東海随一の行基が奉った厄除正観世音菩薩を安置しました。







大師堂
平成16年に落慶となり、真言宗宗祖、弘法大師 空海を祀ってます。

堂宇建築には、法多山の山杉が用いられました。




北谷寺

尊永寺の旧本堂で、北谷観音

尊永寺の旧本堂で、幕末の安政4年(1857年)に建立。

遠江三十三観音第五番札所。本尊、北谷観音のほか、十二支守本尊、西国三十三観音、出世大黒天、賓頭盧尊者などの諸尊をまつってます。













~名物 厄除け団子の発祥~
江戸時代も終わりへと向かいはじめた1854年 安政元年のこと、法多山から将軍家に毎年納める護符にそえる献上品に、いつもの浜松の浜納豆でなくて、地元の物は無いかと考えた寺侍の八左衛門は、豊沢のしん粉と小豆で小さな串団子の上に、餡子をのせた【観音名物団子】として献上しました。

これが徳川 13代将軍、徳川家定はいたく気にいって【くし団子】と命名までされました。

以来、くし団子は、法多山の門前でも名物 厄除け団子として、売り出され、参詣客からも愛される逸品となりました。


八左衛門の碑


















~二葉神社~

法多山の太子堂から下り、鐘楼堂の近くに京都の伏見稲荷の千本鳥居を小さくしたような朱色の連結鳥居のお社があります。

二葉神社は、戦前、浜松市の鴨江二葉町にあった【二葉遊郭】と呼ばれる歓楽街に祀られていたもので、そこで働く芸妓や娼妓達がお金を出し合い建立されたのがはじまりで、
二葉遊郭の守護神社であると同時に、かつて浜松の夜の社交界を華やかに彩った【働く女性】の守り神でもありました。

戦前、戦後と賑わいをみせてきた【二葉遊郭】は昭和31年に街の再開発の波により解体を余儀なくされ、このままでは私発ちの神社も無くなってしまうと、信心深い彼女たちが【この神社は何処か安住できる場所へ…】と願い法多山へ移されました。

働く女性達を見守り続けてきた神社は、法多山 鐘楼堂の陰に隠れるように今もそっと佇んでいます。





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