田中城跡
静岡県藤枝市田中
田中城本丸跡
田中城は駿河国の大名、今川氏により築かれた平城で、その後 甲斐の武田信玄の侵攻により落城し、重臣の山県昌景が入り、西の遠江を領有した徳川家康への備えとして重要視されました。
武田氏滅亡後、主君の武田勝頼亡き後も城将の依田信蕃が城を死守して意地を見せるも、徳川家康に降った武田一門の穴山梅雪が説得して開城しました。
その後、徳川家康が豊臣秀吉により江戸へ移封されると中村一氏が駿河を拝領。
関ヶ原の戦いの後、中村氏は伯耆国へ移ると酒井氏が田中藩主として入ります。
1616年、元和二年の正月過ぎ、徳川家康は田中城下で鷹狩りを楽しんだ後、茶屋四郎次郎が献上、調理した天婦羅を食します。
あまりの美味に普段より過食した家康。
その夜に腹痛に襲われ倒れます。
その後、小康状態になった際に駿府城へ戻り、発病から三月、元和二年四月十七日、この世を去りました。
田中城下屋敷