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鞍馬寺 源義経供養塔 (東光坊跡)
京都市左京区鞍馬本町 鞍馬寺
平治の乱で源義朝が敗れたことにより、常盤御前は、京より親族を頼って南の南都、奈良へ逃亡を計りますが、今若、乙若、牛若の三人の我が子を連れていたことあり、伏見で平家方に捕らえられ、為政者としての地位を盤石にしつつある平清盛の気まぐれにより助命され、我が子も仏門に入れることで助かりました。
清盛の面前に披露された末子、牛若はまだ乳飲み子であったことから母、常盤の養育を許されますが、牛若 4歳のときに離されてしまいます。
約3年、牛若は京、山科の地で父、義朝の所縁のある者に養育された後に鞍馬寺の別当、東光坊阿闍梨、蓮忍に預けられます。
この阿闍梨、蓮忍。
かつて源義朝の祈祷の師だった人物で、仏門に入るなら、父の師の元にという母、常盤の想いがあったのかも知れません。
牛若を預かった蓮忍ですが、自身は別当という身分と何より高齢のため、牛若への教育には、弟子の覚日を指名します。
蓮忍の僧坊〜東光坊で仏門に入るために学問を学ぶ日々が始まります。
源義経供養塔 東光坊跡4へ続きます。