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日本歴史紀行

歴史紀行 44 平家邸宅跡地 〜六波羅蜜寺





六波羅蜜寺



六波羅 平家邸宅跡地 碑 六波羅蜜寺



六波羅蜜寺

京都府京都市東山区五条通大和大路上ル東



平家の拠点となった六波羅は鴨川の東部に位置し、その中心にある六波羅蜜寺は、951年 天暦5年 醍醐天皇の第二皇子でもある空也上人により開創されました。

平安時代後期になり、平 清盛の祖父、平 正盛が墓堂を建立したことから六波羅と関わりが生まれ、清盛の父、忠盛の代になって平家の邸宅が建ち始め、やがて平家の勢力が大きくなるにつれて一大拠点となりました。


1159年 平治元年 12月9日
平治の乱が勃発すると、平 清盛は、敗北を覚悟し、九州へ落ち延びることを考えるも考え直して六波羅へ帰還すると、乱を主導した藤原信頼を支持するふりをして隙を伺い、内裏に幽閉されていた二条天皇を女装させ、女官の乗る女房車に乗せて脱出に成功
させ、次いで後白河上皇も仁和寺に脱出すると形成は逆転します。

二条天皇の身柄を保護した清盛は勅命により藤原信頼と源 義朝を討伐する大義名分を手に入れ、信頼は仁和寺に逃げ込むも捕縛され、義朝は清盛の本拠地、六波羅に攻め込むも圧倒的な兵力差により次第に押され、六条河原で雌雄を決する覚悟で戦いを挑むも敗れ、長男の義平、次男の朝長、三男の頼朝を連れて落ち延びました。





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