
伊東祐親 像
静岡県伊東市大原 物見塚公園
1175年(安元元年)頃、
上洛しての役目が終わって伊豆へ帰還した祐親は、娘 八重姫と恋仲となり、子供まで産ませた頼朝に激怒します。
時代は平治の乱を征した平清盛と平家一門が隆盛を極める世で、平家と戦い敗れた源氏の嫡男が自身の娘と結ばれ、血縁関係になることは、一歩間違えると一族の破滅になりかねないことと危惧します。
祐親は頼朝と娘、八重姫の子供〜千鶴丸を奪い、川底に沈めて殺害し、八重姫を江間小四郎に嫁がせた上でなお、頼朝も殺そうと画策します。
ところが、祐親による頼朝殺害の計画は、祐親の次男、祐清により頼朝に知らされて頼朝は逃亡して難を逃れました。
頼朝は配流の地、蛭ヶ小島近くに所領を持つ北条時政に匿われます。
北条時政は伊東祐親の娘を正妻としてたことから、祐親は義父となる間柄でした。(この頃、時政の正妻は既に逝去)
やがて頼朝は時政の娘、政子と恋仲となり、この事実を知った時政は、政子と頼朝を引き離そうとしますが、政子の頼朝を慕う姿に時政は二人の婚姻を認めることとなります。
頼朝をめぐる娘への対応が祐親と時政の違いが後に二人の運命を左右します。
4に続きます。