
鶴岡八幡宮
神奈川県鎌倉市雪ノ下
平安時代から鎌倉時代にかけて、坂東武者(関東地方の武士)たちの精神的支柱ともなった鶴岡八幡宮。
始まりは、1063年 (康平6年)8月に河内源氏2代目、源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(元八幡、由比若宮社〜現在の材木座1丁目)に、前九年の役戦勝の凱旋時に祈願成就したことに感謝し、祭神を鶴岡若宮として勧請したのが始まりです。
1081年 (承暦5年)2月には、河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)は、後三年の役へ、奥州へ赴く途中に鎌倉に立ち寄り、父の勧進した社殿を修復し、義家は源氏の氏神として信仰しました。
義家は後三年の役で鬼神の如き働きをしたものの、朝廷はこの戦いを私戦であるとして恩賞を与えることを拒否したことから、義家は私財を投じて戦いに参加した兵に与えたことから声望を高めることとなり、以来、このことが坂東で源氏を慕う者が続くこととなり、やがて鎌倉が源氏の都となる礎となります。

それから約100年後の1180(治承4年)10月6日。
八幡を勧進した頼義の5代目にあたる源頼朝が大軍を率いて鎌倉に入った時、先祖代々の君主
を崇めるために由比若宮社を小林郷の北山(現在の鶴岡八幡宮下拝殿付近)に社殿をかまえて奉還しました。
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