赤い靴の少女と母の像
赤い靴の少女と家族の像
ヒューイット夫妻に きみ を託して、かよは北海道 後志地方の留寿都村へと旅立ちました。
しかし、ヒューイット夫妻がアメリカへ帰国することになった時、きみ は当時不治の病とされていた結核に侵されしまいます。
結核を発病した きみ は、アメリカまでの船旅が出来ず、ヒューイット夫妻は東京 麻布十番の鳥居坂教会の孤児院(永坂孤女院)へ預けられました。
預けられた きみ は、当時 孤児院を運営していた東洋英和女学院の必修奉仕で日曜学校の教師として来院した村岡花子(赤毛のアン~児童文学書翻訳家)と短い交流がありました。
そして きみ は、3年の闘病生活の末、9歳という あまりに短い生涯を東京で閉じました。
1911年 明治44年 9月15日の夜のことでした。
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