建久3年(1192年)7月12日
源 頼朝が征夷大将軍に任ぜられる
1160年 平治2年
初陣の平治の乱で敗れ、平清盛により伊豆へ配流となって20年の雌伏の時を過ごした後、1180年 治承4年、全国の源氏へ平家追討を命じる令旨(以仁王の令旨)を受け、一度は静観したものの、北条氏を中心とした東国、伊豆の武士団をまとめ上げて打倒平家を掲げて挙兵。
富士川、一ノ谷、屋島、檀ノ浦の戦いで平家をことごとく敗って滅ぼすと、奥州合戦で藤原氏を滅亡させて国内の敵を一掃した後は冠位を上げられた頼朝。
1192年 建久3年7月12日、武家の棟梁を象徴する征夷大将軍に任ぜられました。
頼朝から始まる幕府の武家政権制度は、鎌倉、室町、江戸と、将軍職が源氏、足利、徳川と、安土桃山時代の一時期を除いて幕末の徳川慶喜、徳川15代将軍まで約700年もの間続きました。