
清水次郎長
~死んだら皆仏。仏に官軍も賊軍もあるか。
慶応4年、明治維新をめぐる戦いが起きます。
京都 鳥羽伏見により広がった戊辰戦争と呼ばれるこの戦いはやがて京都から東へと広がります。
官軍により惨殺された幕府海軍の咸臨丸の兵士の遺体が清水湊に浮いていながら、官軍を恐れて誰も収容しなかったのを見かねた清水次郎長が子分を引き連れて収容し、埋葬まで行いました。
後日、詮議された次郎長が発した言葉です。
~死んだら 皆仏。仏に官軍も賊軍もあるか。~それでも罪に問われるなら、この次郎長 喜んで罰を受けましょう。
静岡藩権判事の職にあった山岡鉄舟は、心洗われる思いが身体中を駆け巡り、以来 次郎長と生涯の友情を育みました。
かつて東海一の親分と怖れられた次郎長。
清廉な山岡との出会いから人生を180度変える影響を受け、喧嘩と血にまみれた生活を改めて、その後は英語塾の開設、富士裾野の開墾、相良油田への投資など、事業家へと転身し、晩年はあらゆる社会奉仕を行い、地域住民にも慕われました。