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日本歴史紀行

歴史紀行 動物編 1 - 5 南極観測隊 樺太犬タロ、ジロ 5


樺太犬タロ、ジロの像
名古屋市港区ガーデン埠頭



旧南極観測船宗谷
東京都品川区東八潮 青梅北埠頭




現在、南極観測船しらせ〜が南極へ向けて航海中です。

観測隊の皆さんの安全な航海と、無事な南極昭和基地への到着を願っています。






1956年 昭和31年11月8日、約1万もの見送りを受けて南極観測船 宗谷は東京、晴海埠頭を出航しました。


まだ子犬であるタロ、ジロを含めた22頭の樺太犬を乗せての航海です。


宗谷はソ連(現在のロシア)から耐氷輸送船として受注、生産されたものの、太平洋戦争の戦局に伴い契約は破棄されて日本海軍に接収され、測量艦兼輸送艦として運用されました。


海軍に接収されたものの、戦闘に向かない航行速度の遅い宗谷ですが、それが幸いしたものなのか、艦隊の艦船が次々と沈む運命をたどった中で、宗谷だけは生き残って終戦を迎えました。


終戦後、宗谷は大陸からの引き揚げ者を運ぶ役目を経て、海上保安庁の船として引き取られ、南極観測が決まると当時唯一の砕氷船として改修されました。

66年も前の観測船に空調設備は、犬の小屋のある船室のみでした。

これには過去の失敗を踏まえての対策でした。

日本最初の南極探検は、白瀬矗(しらせ のぶ)海軍中尉を中心とした探検隊が
1912年明治45年1月16日南極上陸、海南丸による航海でしたが、白瀬探検隊はこの航海で犬を30頭連れたものの、29頭を失いました。

白瀬隊が南極の大地を踏みしめた時、同行した犬はわずか1頭のみでした。


航海での犬の安全を考え、暑さに弱い樺太犬のために、船室に空調設備を完備させました。

宗谷に完備された空調設備の効果もあり、灼熱のインド洋を越え、南アフリカの最南端の喜望峰を望み、南極圏へ差し掛かる宗谷は1頭の犬も失わず(ただ、1頭はケガにより負傷)に入りました。


6に続きます。






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