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日本歴史紀行

歴史紀行 動物編 1 - 10 南極観測隊 樺太犬タロ、ジロ 10



昭和33年2月8日、昭和基地付近に小型飛行機が飛来します。

昭和号です。



宗谷は、バートン・アイランド号の先導により辛くも昭和基地近海にたどり着くも、一度は第一次越冬隊に代わる第二次越冬隊を送り込みました。

犬係の北村泰一隊員は、樺太犬たちを第二次越冬隊に引き継ぐ際に犬が逃げ出さないように首輪をきつく締め、引き渡しに備えました。


この引き継ぎのために行なった処置が、北村泰一隊員に生涯悔いを残す結果となります。



さらに観測隊は、空輸による輸送で昭和基地に
残っている第一次越冬隊員を収容します。


2月10日~12日の間に天候回復のわずかな時間を狙って西堀越冬隊長以下11名の第1次越冬隊、及び犬7頭の収容と第2次越冬隊3名を送りますが、その後の気象状況は更に悪化していきました。

2月13日、バートン・アイランド号のブラッチンガム艦長から、次にベルギーの船を救援しに行かねばならないことから、2月16日をもって この海域から退去すると通告してきました。

2月14日以降、越冬予定だった第二次越冬隊の3名と樺太犬3頭を再び宗谷に収容、その後は悪天候のため、虚しく日時は過ぎていきます。



その後も、第2次越冬隊を7名にまで縮小し、昭和号による空輸の可能性を捨てずに天候の回復を待ちましたが、輸送計画も悪天候のために行えず、予定の24日になり、ついに越冬計画は断念、夕ロとジロを含む樺太犬15頭をやむなく南極に残してこの地を去ることとなりました。

北村泰一隊員は連れて帰れないなら、せめて安楽死させてやりたいと懇願するも、これ以上、昭和号を飛ばせないことから それも叶わず、とうとう宗谷への退避となります。



最後の第一次越冬隊員が昭和基地を去る際、
鎖に繋がれた樺太犬たちがウオオン…と吠え叫ぶ姿を昭和号機内から見てることしか出来ませんでした。

苦しい決断をした宗谷の松本船長はその時、〜ただ今より、本船は帰路につく。長期にわたってよく目的達成のために続けられた全員の努力に感謝する。自然の猛威に妨げられ本観測としての最少の希望をも果たし得なかったのは誠に残念であるが、全員141名は無事本船にあり。乗組員一同は一層注意と努力を傾けて残された海上輸送の万全を期せ〜
と訓示し、宗谷は日本への帰路の航海につきました。




しかし、この時日本国内では南極観測は失敗したと報じられ、何より樺太犬を南極に置き去りにしてきたことに批判が集中しました。

日本の南極観測基地である昭和基地の設置。
貴重な極地研究の成果。
ボツンヌーテンの初登頂。
未開大陸地域の命名。
それらの偉業も15頭の樺太犬置き去りの批判にかき消され、失意の帰国となりました。


たた、宗谷も観測隊員も、危険を顧みずに犬たちの救出に努め、方法を模索したものの、及ばず、第2次越冬隊を成立させようと必死の努力を重ねた結果でした。


南極の極めて厳しい気象の猛威に晒され、疲れ果てた"宗谷"は、翼の折れたスクリュー・プロペラをいたわりながら、昭和33年4月28日に日本に帰りつきました。





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