桜井戸
奈良県五條市五條
地図上で奈良県中部の地方都市、五條の町は、北西に河内(大阪府の南部地方)の金剛山系、東に修験道の開祖、役行者により開かれた吉野山の玄関口となる吉野口があり、さらに南西には後に弘法大使 空海が開創する高野山の山々が広がります。
空海は自らの理想とする真言密教の聖地を探す旅に出ます。
816年、弘仁七年頃のこと、
空海は京の東寺を去り、大和街道を南下し、
大和国(現在の奈良県)を目指しました。
やがて大和国(奈良県)に入った空海はさらに大和街道を下り、大和川を西に進み宇智郡(現在の五條市付近)まで来たところで、ある おばあさんに出会います。
空海はお婆さんに一杯の水を所望します。
すると、お婆さんは外へ出かけ、数町も南の紀の川(吉野川)まで水を汲みにいって、ようやく空海に振舞いましたが、空海はお婆さんの親切と村人の水の不便さを思うと、錫杖で地を掘ったところ、湧水がどっと湧き出たと言う伝説があります。
わかりにくいですが、金魚が何匹も泳いでいました。
現在でも、桜井戸の水量は、水脈等の変化により今は豊富ではないものの、湧水の清らかさは変わらず、夏になると冬よりも水が湧き出てくると言われています。
空海、その後。
紀の川を越えた空海は、宇智郡から南の山々向かいます。
すると、白黒二匹の犬をつれた猟師に出会い狩人から【 和上(和尚の敬称)、これより先は険しい山々、何処へ行かれる?】と訪ねます。
すると空海は、「真言密教の伽藍を建てるのに相応しい場所を探し求めて歩いています。」と答えます。
すると猟師は、「ここから少し南の紀州(和歌山県)の山中に、和上の求めている よい場所があります。この犬に案内させましょう」といって、そのまま姿がみえなくなりました。
この猟師は狩場明神として高野山に祀られます。
犬達に導かれ、険しい山々を登った空海は、
丹生明神(にゅうみょうじん)のお社のところまで来られました。
すると、明神様が姿を現わし、「今、菩薩がこの山に来られたのは私の幸せに思います。南は南海、北は紀ノ川、西は応神山の谷、東は大和の国(奈良県)を境とするこの土地を和上に永久に献上します」と告げました。
御社(みやしろ)
高野山の 開創にあたり、819年 弘仁10年に弘法大師 空海は、山内の四方に結界を結び、その結界の守護として丹生都比売(にうつひめ)明神、高野(狩場)明神の両大明神を勧進しました。
丹生明神は、空海が高野山入山の際に道案内した女性で、高野山麓の天野の里に祀られていて、狩場明神は、丹生都比売を祀っていた猟師で、空海はこの二柱を神格化して高野明神として勧進しました。