皇居
1901年、明治34年4月29日、月曜日。
東京都港区元赤坂の東宮御所(旧東京市赤坂区青山、青山御所)御産所において、午後10時10分、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の第一男子として御誕生になる。
4月29日午前より、嘉仁皇太子妃節子様、御出産の徴候が見られ、東宮拝診医の診察をお受けになり、御産所にお入りになられる。
午後10時10分、御降誕あそばされ、御身長51センチメートル。御体重3000グラム。
宮内大臣 田中光顕は急ぎ伺候、参殿するも、皇太子妃節子様、御安産により間に合わず。
東宮大夫 中山孝麿は急ぎ参内し、明治天皇、皇居に親王御誕生を奏上する。
嘉仁皇太子は神奈川県の葉山御用邸滞在中に電報により御誕生の報を受けられ、東宮御内儀監督、万里小路幸子を遣わして守刀を賜わう。
嘉仁皇太子 第一男子の御誕生は、大日本帝国憲法皇室典範による規定初の皇孫御誕生となる。
次回〜1901年明治34年5月5日、御命名