現代語訳 昭和天皇 実記 2
御命名
1901年、明治34年5月5日、日曜日。
親王様の御誕生第七日につき、御命名式が執り行われ、明治天皇より御名を裕仁(ひろひと)、御称号を迪宮(みちのみや)と賜り、宮内大臣をもって官報に告示された。
御名および御称号は、明治天皇が親王様御誕生の翌日、明治34年4月30日に侍従長 徳大寺実則を介し文事秘書官長 細川潤次郎に撰申を御下命される。
5月1日、文事秘書官 股野 琢より、御名の候補として、
裕仁(ひろひと)
雍仁(やすひと)
穆仁(あつひと)
の三号と、御称号の候補として、
迪宮(みちのみや)
謙宮(かねのみや)の二号の勘申がなされ、徳大寺実則侍従長の上奏により御選定になる。
裕仁の裕は、#易経に【益徳之裕也】、
#詩経に【此令兄弟綽々有裕】、
#書経に【好問則裕自用則小】、
#礼記に【寛裕者仁之作也】、
と見え、
【迪】は#書経に【允迪厥徳謨明弼諧】、【恵迪吉従逆凶】と見える。
なお、親王様の御印は、皇太子妃の御選定により、【若竹】と定められる。
#易経〜古代中国(商)の時代からの易(占い)の書物。動物の骨や植物の茎を用いる占い法。
#詩経〜全305集からなる中国最古の詩篇、経典。
#書経〜古代中国の歴史書。
#礼記〜儒教の基本的な経典。
次回〜1901年 明治34年5月5日、【万歳】