3 万歳
1901年、明治34年5月5日、日曜日。
午前8時半。
皇太子殿下(後の大正天皇)、東宮御所に環啓される。
午前9時半。
賢所、皇霊殿、神殿において、御命名の祭典が行なわれる。
明治天皇御代拝を侍従 日根野 要吉郎、
皇后御代拝を権掌侍 小池道子、
皇太子御代拝を東宮侍従 大迫貞武、
皇太子妃御代拝を東宮主事 中田直慈がそれぞれ奉仕し、玉串を奉(たてまつ)る。
御名御称号書は宸筆にて、それぞれ大高檀紙に記され、三つ折りにされて#柳筥(やないばこ)に納められる。
午前10時。
侍従長 徳大寺実則は勅使として これを奉じ東宮御所に参上する。
侍従長 徳大寺実則は、内謁見所において皇太子に御名御称号書を御覧に入れた後、親王の居間に進み親王に奉呈された。
東宮大夫 中山孝麿はこれを受け、 案上に奉る。
午前10時半。
皇太子、皇太子妃及び親王は、御命名の御礼のため、中山孝麿 東宮大夫を御使として宮城(皇居)に遣わし、明治天皇、皇后両陛下へ鮮鯛一尾ずつを、また別に御台肴一台を御献上になる。
東宮御所においては、皇太子は内謁見所において御親呢及び東宮職高等官等の祝賀を受けられ、ついで東宮大夫を通じ判任官以下の祝賀を受けられる。
正午。
宮城(皇居)豊明殿において、天皇・皇后両陛下より、参賀の皇族・大臣・親任官以下宮内高等官以上へ酒饌を賜う。
午後2時。
皇太子は御出門になり御参内、御恩を謝された後、午後3時40分、東宮御所に還される。
なお、伝えられるところによれば、宮城(皇居)豊明殿における賜饌の際、宮御養育主任 、林友幸の音頭により、一同は【万歳】を唱え、これが宮中の御宴において万歳が唱えられた初例とされる。
なお、林友幸が音頭を取ることになった経緯について、宮中女官達の間に、本年元旦最初の東宮御所への参賀者が男性であれば、親王御誕生との噂があったためで、この栄誉に参賀第一着となったのが林であり、実際に親王が御誕生となったことを自らの喜びとして、宴酌の度に得意気に話しを続けていたことが宮内大臣の耳に入っていたことから、宮内大臣に勧められたという。
#柳筥(やないばこ)
柳の木でつくった一種の箱。
柳の木を細長く三角に削り、白木のまま幾つも寄せ並べ、生糸または紙撚(こより)で二か所ずつ編んで仕立てた蓋つきのもの。
古来からの宮中、公家文化の名残りで、主に硯、墨、筆、短冊、冠、鞠、経巻などを納めるのに用いたりした。
次回 御養育担当 川村純義