伊成神社〜三浦刑部父子、悲願の開拓
静岡県菊川市加茂
桶狭間古戦場伝説地
愛知県豊明市
〜桶狭間の戦い〜
1560年、永禄3年5月19日、尾張へ攻め込んだ駿河の大名、今川義元を織田信長が乾坤一擲の戦いを挑み、大将 義元を討ち取り勝利した戦いです。
この戦いで織田信長は飛躍を遂げ、主君、今川義元を失った今川氏は没落の道を進み、当時人質の身だった徳川家康は再起を誓い独立を果たします。
大名級の家がこの戦いの結果、それぞれ運命を変えた様に、仕えた家臣達にも大きな影響を与えました。
今川義元に仕えていた武将、三浦刑部は桶狭間の戦いに敗れた後に帰参をせずに里に潜みました。
やがて武士はやめて百姓になろうと決意し、二人の息子と方々と歩いて加茂村(現在の菊川市加茂地区)に住み着きます。
現在の静岡県菊川市は茶の栽培が盛んなお茶の街として知られる街ですが、この時代の加茂地区は河川に恵まれているものの、人のまばらな寂しい村でした。
一級河川 菊川
加茂地区に住み着いた三浦刑部父子は、加茂は寂しい村ながら、菊川と支流の西方川、牛渕川と、大小の河川に恵まれていることから作物の生育に良いと考えました。
ところが、加茂村がなぜ、寂しい村なのか。
間もなく三浦刑部は理由を知ることになります。
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