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日本歴史紀行

歴史紀行 73 - 3 富士川の戦い 平家越 碑 3


平家越 碑
静岡県富士市新橋町



奢る平家の軍勢が、水鳥の羽音を敵の大軍と間違えて敗走したという富士川の戦い。

後に滅びゆく平家の象徴的な出来事です。




1180年 治承4年8月23日。
石橋山の戦いで惨敗した頼朝軍。


頼朝は再起を目指して安房に逃れ、共に敗走した北条時政、義時の父子を甲斐へ送り、甲斐源氏の武田信義に、共に平家を討ちたいという意志を手紙に認(したため)て同盟を持ちかけます。


挙兵した頼朝を討つべく平家は軍勢を東国へ向けるのですが、出陣の吉兆にこだわって日程を費やしたばかりではなく、駿河国 丸子(まりこ)宿付近で滞陣した平家軍は、土地の遊女たちを陣中に招き入れて酒宴に耽ける有り様。




駿河国 丸子宿(静岡県静岡市)



この隙に頼朝は関東の主だった武士団を味方に引き入れて鎌倉を目指していました。


さらに、頼朝の意を受けて同盟を結んだ甲斐源氏の武田信義が駿河に向けて出陣します。

治承四年10月13日
丸子を発ち、東に向けて進軍した平家軍は、先鋒の部隊が武田信義の軍勢と戦って敗れました。


平家軍は京から進軍しながら地方で動員された駆武者により、大編成ながら、所詮は寄せ集めということもあって士気も低く、頼朝が鎌倉に入って間もないタイミングながら、甲斐源氏の軍勢に緒戦の出鼻をくじかれました。


4に続きます。








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