1180年 治承四年九月挙兵した源頼朝を討伐すべく、関東へ出陣した平維盛を総大将とする平家軍。石橋山の戦いに敗れ、安房に逃れた源頼朝は、千葉常胤、安西景益、上総広常らを味方に引き入れながら関東を西へ進み、本拠地に定めた鎌倉に入る頃には、数万の軍勢を誇る勢力を獲ていました。治承四年十月、頼朝は北条時政を甲斐に派遣して源氏一門の武田信義に共闘を持ちかけ、自らも平家軍を迎え討つべく鎌倉を発ちます。富士川の戦い 完結。今夜記事をアップします。