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日本歴史紀行

八十八夜 寄稿 2 静岡茶発祥の地 足久保 2


今年の新茶


足久保の茶畑


聖一国師(円爾)は、駿河国の久能寺で仏門に入り、尭弁(ぎょうべん)を師に修行を始めました。

尭弁は聡明な円爾をよく導き、やがて上方へ上
り、園城寺(三井寺)、東大寺、上野国(群馬県)長楽寺の栄朝や、幕府執権の北条氏の崇敬する寿福寺などで学びました。

国内の名刹での修行に限界をみた聖一国師は、
33の時に宋に渡り、修行を積みます。

径山万寿寺は、当時の五山の一に数えられる名山でした。

師となって聖一国師に教えを施していた無準禅師は、異国の僧とはいえ、聖一国師の傑出した能力をみたことで、正式に法を受け継がせることとし、経典や数々の貴重な品々を託して送り出します。

そして聖一国師は1241年、仁治2年に帰国しました。

その後、筑前、京、鎌倉などで仏教の普及につとめます。

その際、聖一国師が持ち帰ったのは、経典や仏具はもちろん、儒書、医薬書を始め、当時の先進的な科学技術。

また、水車を利用しての製粉(うどん、そば)の手法、蒸すことによって作り出す饅頭の製法、今日の博多織物に繋がる製法、陶器製品(主に陶器人形)の焼き方、そして茶に関するものが含まれており、うどん、蕎麦や饅頭の伝来、博多織や博多人形のルーツ、やがて栄西と共に各地の茶の始祖と崇められるようになりました。


また、帰国後に滞在した博多では、疫病が流行った際に町民が担ぐ施餓鬼棚に乗り、水を撒きながら疫病退散を祈祷したことが、現在まで続く博多祇園山笠の起こりといわれています。






静岡茶発祥地の碑(静岡市葵区足久保)


静岡とお茶とのかかわりについては、『東福寺誌』に記された「国師の駿河穴窪の茶植え〜」との記述が残ります。

1244年、寛元2年、かつての修行の地、上野国の長楽寺への帰路、生まれ故郷の駿河国へ立ち寄ると、母への土産を兼ねて足久保(穴窪と伝わる。)で持ち寄った茶の種子を植えました。


足久保は比較的温暖な駿河国において、朝夕の寒暖差があり、朝には霧が起こりやすく、霧が天然の遮光となる土地だったことが、思わぬ茶産地として成功をもたらしました。


やがて江戸時代になると、大御所として駿府城に隠居の身として落ち着いた徳川家康公に献上された足久保の茶が家康公の目に止まります。

武備を怠らず、質素倹約を常としていた家康公ですが、茶にはうるさかった様で、足久保の新茶を保管する茶蔵を足久保からの道沿いに建てさせて、必要な量だけ駿府城まで運ばせていました。








2021年5月、まだコロナ禍で長旅を躊躇する時期に足久保を訪ねました。


足久保川









東福寺誌に伝わる
「駿河穴窪」とは静岡市足久保のことであり、聖一国師の生誕地・栃沢とは、山を挟んで隣りの村です。

後に足久保は御用茶を納めるほど良質な茶を作り、今日も上品な高級煎茶を生産しています。






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