東海道 日坂宿
江戸から25番目の宿場町で、現在の静岡県掛川市の北東に位置します。
日坂から江戸へ向かうと、次の金谷宿の前に急峻な坂の峠〜小夜の中山が控えています。
日坂宿 本陣跡
高札場跡
弘法井戸
宿場を抜けると小夜の中山へ
沓掛坂
芭蕉句碑
夜泣き石跡
西行句碑
西行は平家により焼き討ちにあった東大寺大仏殿の再建のために、黄金の産地でもある奥州 藤原氏への勧進の旅の道中で、小夜の中山にて次の句を残しました。
〜年たけて また越ゆべしと思ひきや
命なりけり 小夜の中山〜
久遠寺
豊臣秀吉亡き後、家中が分裂した政権内で徳川家康に付いた掛川城主 山内一豊は、上杉討伐を掲げて江戸へ向かう家康を久遠寺の境内に用意した茶亭で饗応しました。
続く小山評定の軍議で家康に掛川城を献上する申し出に家康は感激し、一豊にならう形で東海道に居城を持つ大名らも続いたため、兵糧、軍馬の見通しを立てられた家康は、戦勝後に一豊に土佐一国を与えました。
久遠寺 本堂
小夜の中山を抜けると間の宿、菊川の里へ
菊石