赤い靴の少女と母の像
静岡県静岡市駿河区 日本平
赤い靴の少女と家族の像
赤い靴の少女と家族の像
北海道小樽市色内 運河公園
童謡 赤い靴 の女の子のモデルが明らかになったのは、1973年 昭和48年11月の新聞に掲載された【野口雨情の赤い靴に書かれた女の子は、まだ会ったこともない私の姉です。】という岩崎きみ の義理の妹にあたる【岡その】の新聞投稿がきっかけでした。
この記事を当時 HTB北海道テレビの記者だった菊池 寛が知り、5年余りの歳月をかけて取材し、赤い靴の少女が実在し、東京で亡くなっていたことを突き止めました。
その後も童謡【 赤い靴】は日本中で唄われ続き、岩崎きみ と母をせめて会わせてあげようと母子の像や親子の像が静岡、北海道、横浜、東京などで建立される動きとなりました。
日本平に建立された母子の像は、母 かよ の生まれ育った地に、小樽市の家族の像は、母 かよ が晩年を過ごし、娘を想いながら亡くなった地にそれぞれ建立されました。
おわり
おわり