読売巨人軍 長嶋茂雄ランニングロード記念碑
静岡県伊豆の国市吉田
1967年、昭和42年、巨人軍は川上哲治監督の下、チームは三連覇でリーグ戦を終え、強さも際立つものの、10年目の選手生活だった長嶋茂雄選手は打点、本塁打、打率と全ての打撃成績が前年を下回るものとなり、本人はオフシーズンのトレーニングを見直すことにします。
そんな長嶋茂雄選手が選んだトレーニング地が静岡県伊豆半島の大仁(おおひと)町(現在の伊豆の国市)でした。
決め手は温暖な土地と富士山でした。
大仁ホテル
富士山
冬ごもりのキャンプ地を探した長嶋茂雄選手。
東京から比較的近く、なお、体を動かせるために温暖な地を求め、伊豆半島に絞りました。
視察に来た長嶋茂雄選手は元来、ポジティブな性格で、日本一という言葉が好きなこともあり、日本一の霊峰 富士山を一望できる大仁(おおひと)ホテルに即決しました。
朝から日中はホテルから大仁町内を駆け抜け、
伊豆半島中心部を流れる狩野川沿いを経て標高342メートルの城山(じょうやま)を山頂目指して一気に駆け登るハードなもので、ホテルに戻ると室内で素振りにトスバッティングと練習に勤しみました。
トレーニングの合間には地元、大仁町民との交流も盛んに行われ、大仁高校の部活動に飛び入り参加したり、大仁町民らと城山登山を楽しみ、即興のサイン会などで町を賑わせました。
大仁冬ごもり トレーニングの成果もあった様に翌シーズンの長嶋茂雄選手は、打点と打率で二冠王となり、打撃成績がV字回復して巨人のシーズン4連覇に大きく貢献しました。
長嶋茂雄選手の大仁冬ごもりは引退前年の昭和48年まで毎年続くこととなり、この地での鍛錬は巨人軍栄光のV9時代を下支えしたと言えるでしょう。
読売巨人軍 長嶋茂雄ランニングロード記念碑
現役引退後の長嶋茂雄さんは、巨人軍の監督を2期、オリンピック日本代表監督と球界発展に貢献したことは言うまでもなく、長嶋茂雄さんの偉大な選手時代の記憶は度々語り継がれ、日本球界の至宝となり、親しみやすいキャラクターは一般の誰からも好かれました。
大仁町は市町村合併で伊豆の国市に編入となりましたが、かつて 長嶋茂雄さんが過酷な自主トレーニングの末に、見事な成績を復活させた努力と市民と育んだ交流とスポーツマンシップ、市の地域づくりと発展に欠かせないものとして、トレーニングでランニングしていた道に【 長嶋茂雄ランニングロード】と【長嶋茂雄ロード】として命名しました。
2004年3月4日に脳梗塞で倒れるも、懸命なリハビリにより杖を使いながらも歩けるまで回復した長嶋茂雄さんに日本中から安堵と励ましの声が寄せられました。
そして2013年(平成25年)5月5日に政府からは、【闘志あふれるプレーと驚異的な勝負強さにより、野球史上に数々の輝かしい功績を残した】ことは国民に広く称賛と明るい話題を長年残してきたとして、国民栄誉賞の授与を受けました。
長嶋茂雄ランニングロード記念碑は2016年3月5日に完成記念イベントが行われ、長嶋茂雄さんからメッセージが寄せられ、また5月4日には長嶋茂雄さん本人が伊豆の国市を訪れ、出迎えた市民からの熱烈な歓迎を受けました。