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静岡の由来 碑
静岡市葵区追手町 静岡市役所前
〜静岡の由来碑文から〜
静岡の由来
明治二年(一八六九)廃藩置県を前にして駿府または府中といわれていた地名の改称が藩庁で協議された
重臣の間では賤機山にちなみ賤ヶ丘といったんは決まったが、藩学校頭取の向山黄村先生は時世を思い土地柄を考え静ヶ丘即ち「静岡」がよいと提案され衆議たちまち一決
同年六月二十日 駿州府中静岡と唱え替えせしめられ縁」
と町触れが達せられた 以来百有余年富士を仰ぐふるさと静岡の名は内外に親しまれ県都として今日の発展を見るに至った
ここに市制施行九十周年を迎え黄村先生の遺徳を敬仰しゆかりの地藩庁跡に市名の由来をしるす
昭和五十四年四月一日
静岡市
この様に
旧国名〜駿河国、駿河国の府中宿のこの地を改名する際には、向山黄村(むこうやま こうそん〜渋沢栄一らと共にパリ万博へ参加した旧幕臣)の意見が採り入れられました。
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静岡浅間神社 大拝殿
背後が賤機山
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今川氏菩提寺の臨済寺
背後が賤機山
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賤機山山頂の賤機山古墳
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麓山神社
賤機山(しずはたやま)
標高171メートルの小さな山ですが、かつて山頂には賤機山古墳が築かれ、この地方の古代の権力者の足跡が残され、また山麓南側には静岡浅間神社、臨済寺と、古代から江戸時代にかけて、多くの人々の信仰と崇敬の中心地ともなったことから、向山黄村の発案には、主だった異論もなく一致し、静岡の名が誕生しました。