〜三河武士が五百騎ほど居りまする〜
家康が秀吉に語ったとされる この言葉は、度々 歴史番組でも扱われたことがあり、存じている方も多いかと思います。
肝要の時に用に立たず。 宝の中の宝といふは人にて留めたり 【岩淵夜話別集】
【 器物はどんな名品であれ、肝心なときに役に立たない。宝の中の宝というのは人材である。】という意味です。
この時代の茶器の名品は、器によって ひとつが一国一城にも値したものも有りました。
かつて織田信長が謀反を起こした松永久秀に対し、久秀が持っていた明器、(平蜘蛛の釜)を差し出せば、命を助けるという逸話。
また、秀吉による九州征伐において、島津氏に組みして秀吉に抗っていた秋月種実は、降伏に際して大事にしていた天下の明器〜楢柴肩衝〜(ならしばかたつき)を秀吉に差出して命を救われました。
かつて豊臣秀吉が、居並ぶ諸大名を集めた席で、家康に対し、天下の宝というものの大半を集めたことを自慢して、家康の宝は何なのかを訪ね、このとき家康は、苦楽を共にしてきた家臣が最高の宝と言い、これに秀吉は赤面して返答もしなかったという。~名将言行録~
現代釈
豊臣秀吉の政権下での話…
ある日、
秀吉は、主だった諸将とせっせと集めた茶器や武具などを披露し、自慢気に話し始めました。
【 わしは粟田口吉光をはじめ、天下の宝という宝を集めた。
その方達は、どんな宝を持っておるか。】
諸将は競うように所蔵する自慢の宝を語り出します。
その座中で話の輪に入らない家康を見た秀吉は、
【 徳川殿はどんな秘蔵の宝を持っている?】
家康は答えました。
【 某、三河の田舎武者なれば、これといった秘蔵の宝は持ち合わせておりません。
されど、某を第一に思い、火の中 水の中にも飛び入り、
己の命を何とも思わない~三河武士が五百騎ほど居りまする。~
この侍たちが居る限り、日本中に恐れる敵など居りませぬ。
この侍たちを何にもかえがたい宝と思って、いつも秘蔵しています。】
これを聞かされた秀吉は赤面し、諸将も沈黙してしまいました。
人材こそ宝。
かつて織田氏と今川氏の人質として若年の時を過ごした家康。
竹千代の時分、自らが欺かれて織田氏に売られた後、自らを取り返すべく何人もの松平譜代の家臣達が命を捨てて安祥城の織田信行を捕らえて人質という駒を獲て人質交換により解放された過去もあり、自らのために働く人こそ秘蔵の宝と家康は考えていたことでしょう。