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日本歴史紀行

歴史めぐり 街物語 3 ‐ 8 静岡市清水区 8


清見寺 山門跡
静岡市清水区興津 清見寺町




清見寺 朝鮮通信使遺跡

静岡市清水の中心市街地から東にある清見寺のある興津(おきつ)の地は、飛鳥時代の昔、東北の異人(蝦夷〜えみし)に備えて設けられた清見関【きよみがせき】があった地で、関所の傍らに仏堂が建立され、この仏堂が清見寺の起源とされています。

やがて時代の流れとともに清見関寺となり、荒廃と再興を繰り返してしまいますが、室町時代には、駿河 今川氏の庇護を受け、軍師 太原雪斎が清見寺の一世として臨済宗寺院として再興しました。



家康手習いの間


本堂裏には、人質時代の徳川家康が雪斎について手習いに来ていました。

江戸時代に幕府を開いた徳川家康は、豊臣政権下の朝鮮出兵により大陸より連れてこられた捕虜の返還と、断絶した朝鮮との関係を見直し、文化的交流と貿易、李氏朝鮮王朝による徳川将軍家の世襲の際に、国書、貢物の奉呈に対しての将軍家よる返礼といったことが、朝鮮通信使として、来日する通信使に対して行われました。

江戸時代も中期を過ぎると、通信使の待遇も簡素化され、宴席、宿泊は、関門海峡の赤間関、鞆の浦、大坂、名古屋と最後に駿河の五ヶ所と指定され、清見寺は最後の宿泊、宴席の場とされました。







清見寺山門は朝鮮通信使がくぐった正門として東海名區の扁額を通信使の玄 徳潤(ヒュン ドギュン)の書と伝わり、本堂内には、通信使の詩書が掲げられ、このため清見寺は朝鮮通信使遺跡として国史跡として指定されています。





庭園












本堂







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