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日本歴史紀行

和歌 短歌 俳句 紀行 21 松尾芭蕉 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡 〜奥の細道


夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡)
松尾芭蕉 句碑
岩手県 西磐井郡 平泉町 平泉柳御所





1689年6月29日(元禄2年5月16日)、俳聖として現代にも優れた俳人として名高い松尾芭蕉が奥州、平泉の高舘 義経堂を訪れ、詠んだ句です。


江戸から陸奥(東北)を目指し、越後、越中、越前、加賀、近江、結びの地〜美濃 大垣へと歩いた距離はおよそ600里(距離にして2400km)にも及びました。


芭蕉が訪れた平泉は、かつて黄金の王国として栄えた藤原氏三代が築いた夢の国でしたが、鎌倉武士により滅ぼされました。


藤原氏滅亡から500年の節目の年に訪れた芭蕉は、藤原三代の栄華の儚さと兄と破局した末の義経の最期を偲び、この有名な句を詠みました。





【夏草や 兵どもが 夢の跡】
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
源義経の終焉の地となった高館(たかだち)から周囲を見渡すと、藤原氏の栄華の痕跡は既になく、野望を抱いた武士により滅ぼされ、その結果、ただ夏草が茂る風景が広がるばかり。芭蕉は栄華の儚さを詠んだ句です。








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