九月九日は重陽の節句です。前夜から菊の花の上に綿を置いて香と露を含ませ、朝方それで顔を拭いて、老いを拭い捨てます。この年、倫子は、自分のための菊の綿を紫式部にも分けてくれました。
倫子と紫式部はまたいとこにあたりますが、倫子には品格と威厳が備わっています。道長の二つ年上で、道長を婿取りしてからは人脈の面でも経済的な面でも支え、次々と御子を産んで、この家の基礎を作ってきました。すでに四十代半ばですが、この前年の1007年正月には何と四十四歳で末娘を出産し、女としても道長の妻としても大きな存在感を示しています。かつてこの倫子は円融天皇か花山天皇のきさき候補として育てられましたが、時機を逸して成りませんでした。
晩方、中宮彰子の前に参ると、女房たちと新調の香を薫きながら月を愛でているところでした。その時、中宮彰子は、例になく苦し気な様子を見せました。出産の兆しです。
とうとうお産が始まりました。子の刻(午前零時前後)、倫子が道長にことを知らせ、道長は事務方長官や、権大夫に召集をかけました。公卿や殿上人も次々とやって来ます。邸内はにわかに喧騒に満ちてきました。
夜明け前、寝殿内をお産用の白木や白布のものに取り替えます。中宮彰子は白一色の御帳台(みちょうだい)に入り、一日中不安げに過ごされました。
≪物の怪たちと物の怪調伏≫
お産が始まると、寝殿の母屋には僧や陰陽師(おんみょうじ)が呼び込まれ、それぞれが大騒ぎで物の怪調伏に取りかかりました。
― 御物怪どもかりうつし、限りなく騒ぎののしる。月ごろ、そこら候いつる殿のうちの僧をばさらにもいはず、山々寺々を尋ねて、験者(げんざ)という限りは残るなく参り集い、三世(みよ)の仏も、いかに翔(かけ)り給ふらむと思ひやらる。陰陽師とて、世にある限り召し集めて、八百万の神も耳ふり立てぬはあらじと見えきこゆ。 ―
[現代語訳
中宮様に憑いた物の怪どもをかり出して、囮の霊媒(よりまし)に移す。この作業で、辺りは大変な騒がしさだ。ここ数カ月間邸内に控えていた大勢の僧たちはもちろんのこと、お産にあたって山々寺々から修験者という修験者が駆り集められ、その皆が力を合わせて加持するのだから、前世・現世・来世の仏もいかに飛び回って邪霊退治をしてくださっていることか。また陰陽師も、世にある限りを召し集めたのだもの、祓いに耳を傾けぬ神など、八百万の神の神にひと柱としてあるまい。]
調伏の場では、験者たち一人につき一人「よりまし」なる霊媒があてがわれます。これは大方少女たちで、中宮彰子に取り憑いた物の怪どもを引き離し自分の身に憑かせるのが役目です。験者たちの術が進むにつれて、少女たちにはそれぞれ、狗(いぬ)や狐や死霊など怪しい何かが乗り移る。すると彼女たちはその様子をなして、体を揺らして泣きわめいたり、四つん這いで走り回ったり、また人の名を名乗ったりする。それらはみな、出産をねたんで中宮彰子に憑いていた物どもなのです。
紫式部は、物の怪などという実態が本当にいるのかどうか疑わしいと思っています。それよりも、自分の幸福の踏み台になった相手や自分に恨みを抱いていると思しい相手などに対する、引け目や罪悪感が人の心に潜んでいて、物の怪めいた何かがあれば、その人のせいと考えてしまうのではないだろうか。後ろめたい心が見せる幻、それが物の怪だと紫式部は考えています。
参考 山本淳子著 紫式部ひとり語り