紫式部は約千年前の平安朝一条天皇の頃の人ですね。源氏物語の作者として有名ですが、藤原氏の中でも名門の北家(ほっけ)に属していました。なので、紫式部はもともと「藤式部」と自称していたのですが、源氏物語が有名になり登場人物の光源氏の妻「紫の上」の名にあやかって紫式部と呼ばれるようになったそうです。名門の紫式部でしたが父親が文学には優れていても身分が低かったので若い頃は特に生活は厳しかったようです。ただ曾祖父は中納言(公卿)にまで出世したので大邸宅住まいでした。そのおかげで紫式部の家族は一緒にその大邸宅に女房を雇って生活していました。 前置きが長くなってしまいましたが、紫式部は源氏物語を書き始めるはるか前の若い頃、父親がようやく越前の受領(まだ貴族とは言えない地位)の仕事を与えられ、紫式部も父親と一緒に越前の国に向かいました。同じ頃姉君と読んでいた仲良しの友人が肥後の国に引っ越すことになり、二人は手紙の遣り取りをしたようです。約千年前の日本では既に日本全国で手紙の遣り取りができていたわけで、驚異的なことですよね。
参考文献;
山本淳子著 紫式部ひとり語り