夫との死別から「源氏の物語」創作に至るまでの日々は、紫式部が後に振り返り「紫式部日記」に書いています。
現代語訳の抜粋
悲しみに目も心も閉ざされていた日々。季節は否応なく過ぎ、花の色や鳥の囀り、春には春霞、秋には晴れ渡った空、また月も春には朧月、秋には冴え渡る月、そして冬には真っ白に降りる霜、自然の景物が次々と巡り来る。だが紫式部には、それら目に映る世界が現実のものと思えなかった。紫式部にとっての現実は、ただ悲しみだけでした。
刻々と過ぎ行く時間に置き去りにされる紫式部。でも心のどこかは分別を保っていて、外の世界を眺め「ああ、もう秋だ」「もう冬になったのだ」と思うことはできる。「世の中をあれやこれやと言いながら、挙句の果てはどうなるのだろう」。恐怖にも近い心細さ、娘を抱え霧の中を行くような気持ちでした。
そんな紫式部を救ってくれたのが、物語と、それを介しての人との触れ合いでした。どれだけ慰められたことでしょう。
物語の、文芸としての格は低い。最も格が高いのは殿方にだけ許された漢詩の詩作。女は第一に和歌、それから日記などの実録で、物語は最低に位置付けられます。内容が事実でない。つまり絵空事であることが理由です。しかしそこにこそ、現実に縛られぬ物語の面白さがあります。実際、娯楽としての人気は物語が抜きん出ていました。
多くの時間を家で過ごす女たちにとって、暇つぶしになる物語は有り難い存在でした。紫式部の友人はいわゆる「里の女」、つまり妻や娘として家にいる人がほとんどなので、物語好きが多かったのです。紫式部同様に物語に没頭し、感想や批評などを、言葉を尽くして語り合える人がいました。
物語は次々に作られますが、本はとても貴重だし、誰もが持っている訳でもありません。新作の噂があれば持っている人を探し、借りて書き写さなくてはならないのです。社交的ではない紫式部も物語の情報には積極的になれました。
こうして紫式部は、物語の世界にのめりこみました。読むだけでなく、自ら作り、人に読んでもらい、意見や感想を求め、また書く作業を繰り返しました。
参考 山本淳子著 紫式部ひとり語り