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解説-23.「紫式部日記」日記の構成と世界-女房・公卿A3

解説-23.「紫式部日記」日記の構成と世界-女房・公卿A3

山本淳子氏著作「紫式部日記」から抜粋再編集

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日記の構成と世界-女房・公卿A3

構成
A前半記録体部分
B消息体部分
C年次不明部分
D後半記録体部分

今回は「A部分三回目のA3」

  いっぽうで、女房たちや公卿・殿上人を見つめる目は、すぐれて女房的である。例えば盛大な五日の産養で、彰子付き女房たちは、女房少将のおもとが装束に付けた銀箔の貧相さを見て、突き合って非難したという。これは美的な避難ではなく、「殿の古人(こじん:前に親しくしていた人)なり」と付記されるような道長家女房の古株にしては、この晴事(はれごと:晴れがましいこと)への配慮が足りないと非難しているのである。

  また、親王誕生五十日の祝で、紫式部は酔い乱れる公卿たちの姿を、順に見渡すように記している。その姿はといえば、政務でしばしば「至愚のまた至愚」と言われた右大臣藤原顕光は、几帳の綻びを断ち切り女房に戯れるまさに至福の姿、中宮冊立以来中宮職に勤め続け、彰子を出世の梯子とすがる中宮の大夫(だいぶ)斎信(ただのぶ)は、乱れた場を収めて祝いの席を成功させようという抜け目ない官吏の姿、「小右記」に窺われるように万事に細かい実資は実資で、女房の華美を疑い装束の枚数を数える姿と、すべてが彼らの最も彼ららしい瞬間を切り取ったものであって、見事としか言いようがない。

  女房とは、主家に密着した存在である。物理的に主家の内部、御簾の中にまで入り込み、主家と生活を共にするという在り方から、自然に彼女たちは、主家に関する情報を、微細に至るまで知ることになる。女房同士の横のつながりもある。
  また彼女たちが女性であり、女房であるという気安さから、貴顕の男たちも女房には素顔を覗かせる。朝霧の中から現れる道長、御帳台の中で眠る彰子、それぞれの女房たちが装束に込めた配慮、公卿たちが酔って晒した素顔。
  これらはすべて、紫式部が女房であるからこそ書けたことである。紫式部は、男性官人の行事日記、貴族の古記録を意識しつつ、それらとは全く違った「女房だからこそ、ここまで見、ここまで書けた」という作品に挑戦しているようだ。

  いっぽうこの部分には、紫式部が自分の心の苦しみについて記した「憂愁叙述」と呼ばれる箇所が、所々ある。
  例えば行幸前、美しい菊の園を見つつ「思ひかけたりし心の引くかたのみ強くて」鬱々とし、自分を水面下でもがく水鳥に重ねる箇所。
  あるいは行幸で、天皇の出御(しゅつぎょ:おでまし)という大切な時に、天皇よりもその輿を背負う駕輿丁(かよちょう:輿(こし)を担ぐ人)に目が行き、自分も同じだと思う場面。
  または、十一月中旬、楽しみにしていた初雪を土御門殿でなくみすぼらしい我が家で見ることになり、落胆と共に自分の変化に驚く場面などである。これらの多くは、私家本への書き換えの際に加えられたものと考える。それは、書き換えの動機がこれであったと推測されるからである。

  零落貴族出身の自尊心と引け目、夫の死以来抱き続けた無常観と厭世観、女房世界への嫌悪感。そうした私的な鬱屈にとらわれ、ややもすれば仕事中も目の前のことから意識がずれて、違うことを考え出す。憂愁叙述に記される紫式部の姿は、個人紫式部の内面記録として非常に貴重である。
  おそらくはそれらは、紫式部自身にとっても拙いながらかけがえのない記憶であったに違いない。だが見方を変えれば、それは女房としてプロ意識に欠ける、未成熟な姿ということになる。
  ところがそうした彼女が、消息体や後半記録体においては、内面の懊悩を抱えつつもそれを表に出さず主家の為に用務を果たす、成熟した女房に変貌している。

  内面の苦と、女房としての成長。私的書き換えは、自分のこの魂の足跡を記しとどめ伝えたいという理由から為されたと考える。私家本「紫式部日記」とは、つまるところ女房紫式部の打ち明け話であった。この観点からみると、雑然とした寄せ集めに見えた構成は俄かに一貫性を持つのである。

次回はB消息体部分:女房たるもの、いかにあるべきか
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