1.紫式部の育った環境 少女時代のおこぼれ学問(紫式部ひとり語り)
山本淳子氏著作「紫式部ひとり語り」から抜粋再編集
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私(紫式部)の少女時代のおこぼれ学問
私の少女時代は、漢詩を抜きにしては語れない。こう言うと世の人からは、はしたない、なぜ女だてらに漢籍など読むのかと叱られるだろうが。これには訳がある。
この式部丞(弟)といふ人の、童にて文読み侍りし時、聞きならいつつ、かの人は遅う読みとり、忘るるところをも、あやしきまでぞさとく侍りしかば、書に心入れたる親は、
「口惜しう。男子(をのこご)にて持たらぬこそ、幸いなかりけれ」
とぞ、つねに嘆かれ侍りし。
(うちの式部丞と申します弟が、まだ子供だった頃、勉強のために漢籍を朗読しておりまして、私はいつもそれを聞いていて自然に覚えてしまいました。弟は暗唱するのに時間がかかったり忘れしまったりいたしましたが、私はそんなところも不思議なほどすらすらできました。ですから学問熱心だった父は、
「残念だな。お前が息子でないのが。私の運の悪さだよ」
といつもお嘆きでしたわ。)
(「紫式部日記」消息体)
私の父、藤原為時は、文章道(もんじょうどう)出身の文人だ。家には漢籍があふれていた。父は自分で読むばかりではなく、弟にも学ばせた。自分と同じ漢学の道に入れて出世させようと期待したのだ。
だが弟は、幼い時からどうもぱっとしなかった。愚鈍というのは可哀想だが、素早く頭が回るほうではない。幼学の入門書の素読などという初歩中の初歩の勉学でもなかなか覚えきれず、つかえたり忘れてしまったりの繰り返しだった。
そうやってあの子が何度も何度も読み上げるものだから、私は横についているうちに、自然に覚えてしまったのだ。弟が鈍いお蔭の、言わばおこぼれ学問だ。
特別な努力など全くしていない。もちろん、父が私に薫陶を授けたなどということもない。父は逆に嘆いていたのだ。男ならば漢文に長けた有能な官人として出世の道もあるだろうが、女のお前には望むべくもないと、それは私の心を傷つけた。
あり余る才能があるのに、女だから父を喜ばせられない。漢文など読めても無駄なのだと。
そう、そんな能力は要りはしない。それなりの家に生まれ、娘や妻、つまり「里の女」として一生を過ごす女たちにとっては。そして私も、ただそのような女として生きるはずだったのだ。
つづく