見出し画像

gooブログのテーマ探し!

簡略版「今ひとたびの、和泉式部」最終回

簡略版「今ひとたびの、和泉式部」最終回

  太后は寝殿の身舎(もや)の御帳台で眠っていた。熱はないようだが、どこか痛むのか、ときおり乱れた息を吐いては苦しげに顔をゆがめる。
  もとより華奢な女人は今、ひとまわりもふたまわりも痩せて消え入りそうに見えた。それでも白い面は透きとおるようで、年相応のしわやしみは見えない。
「よう帰ってきてくれました。太后さまはだれよりおまえに会いたがっておられましたよ」
  母にうながされて、式部は御帳台のかたわらへ膝行した。

  太后は生後まもなく母を、三歳で父の朱雀天皇を喪った。後ろ盾のないまま冷泉天皇の后となったものの、精神を病んでいた天皇はわずか二年で退位、共に暮らすこともなく、人々からも忘れられたまま、長い年月、独居の日々を送ってきた。

  式部の母は末娘の式部を生んだとき四十をこえていた。六十をすぎた今は、ろくに寝ないで看病をつづけていたせいもあるのだろう老いがきわさっている。

  十一月になってようやく本格的にはじまった名僧たちによる法華経の読経や加持、千手観音など御修法(みずほふ 又は みしほ等)のかいもなく、太皇太后昌子内親王は十二月朔(ついたち)に崩御した。
  乳母だった式部の母は、父に支えられて歩くのがやっとで、亡骸にとりすがってはなれなかった。

参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「簡略版「今ひとたびの」」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事