簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第二回
式部は、冷泉上皇の名ばかりの妻である太后の孤独(子がなかった)を目の当たりにしていた。一方で、一夫多妻があたりまえの時代に、式部の両親や大江邸(父の実家:匡衡(まさひら)邸)の当主夫婦のように一夫一妻をつらぬく夫婦も見てきた。とりわけ養父母(匡衡と赤染衛門)は仲むつまじく、式部は幼心にも養母のようになりたいとあこがれていたのだ。
そんな両親のめがねにかなったのが橘道貞だった。
道貞は父の部下、精進(しょうじん)だから官位は低いが、実務の才のある凛々しい若者で、なにより橘家のありあまる財産を相続していた。道貞の「道」が左大臣・藤原道長に気に入られて賜ったものだということも将来のある証拠、むろん財力がものをいったのだろう。
「末は国司になる男だ。となれば濡れ手で粟」
父がいえば母もいう。
「妻はいない(多妻にはならない)そうですよ。歌も官学も苦手とか。そのほうがかえって安心です。軽々しゅう女のもとへかよう心配もありません」
両親のお墨付きなら反対する理由がない。相聞歌に胸をときめかせたり、ひと夜の逢瀬に身も心も蕩(とろ)けそうになることはあっても、それとこれとは別物。
とはいえ、道貞の求婚をうけいれるについてはためらいもあった。太后はなんというか。ずっとおそばに・・・と誓った手前、どんな顔で打ち明ければよいのだろう。
案ずることはなかった。
「ほほほ、それが女人と申すもの。というても、わらわには縁なきことなれど」
太后は祝福し、「幸せにおなりなさい」と送りだしてくれた。
数々の不幸を一身に背負いながらも、温かく大らかな心で導いてくれた太后ー-。
参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」