簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第六回
呆然と立ちすくんでいると、前方の簾がまきあげられ、ギシギシと屋形をゆらしながら男が出てきた。身をかがめているのではじめに見えたのは垂纓冠(すいえんかん:冠を固定する紐)で、次は光沢のある山吹色の小直衣、そして最後は指貫(たっぷりした袴)。降りたつ際に指貫がこすれあってもがさついた音がしないのは高価な二陪(ふたえ)織物か。二陪織物は皇族しか身につけられない。ということは・・・
「都のことならなんでもお教えしますよ。もっとも、恋、以外は得手ではありませんが・・・」
男は細殿に降りて、式部の行く手をふさいだ。直衣の裾をととのえるような仕草をしてから、おもむろに顔を上げる。
あっと式部は息を吞んだ。
ようやくわれにかえった侍女の一人が決死の覚悟で式部の前にとびだした。
「どこのどなたさまか存じませんが、お無礼にございましょう」
男は動じなかった。大仰に辞儀をして見せたのは、この状況を愉しんでいるのか。
「ここは権大進さまのお屋敷ですよ。車舎でなにをしていらしたのですか」
侍女は問い詰める。
「少々、休んでおりました。見舞いに参ったものの足がふらつき・・」
「見舞いッ」
式部は目をみはった。
「しばし休んでいたところ、おお、なんという幸運、式部どのがおこしになられた・・」
「わたくしをご存じなのですか。そうだわ、今、わたくしの歌を・・」
「式部どのの歌は都では大評判、知らぬ者はおりません。しかもわたしは人に先んじておぼえられる。太后さま直々に教えていただけるのですから」
「太后さまが・・あ、あなたさまは・・」
「見覚えがないとはつれないお人だなあ」
「もしや・・もしや、弾正宮(だんじょうのみや)さま・・」
「昔、御所で、いっしょに遊んでもらいました」
弾正宮とは、冷泉上皇の御子の一人、為高(ためたか)親王である。
参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」
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