独白

全くの独白

コドモ

2017-05-18 21:19:18 | 日記
好天気の下、自転車で山里の外れの坂道を上っていると、
車を停めて山菜採りをしている人が「危ないぞ、コドモが居るぞ」と言う。
山の人は小熊でも大人の熊でも、コドモと呼び習わしているようである。
慶事は言葉に出しても中々実現しないが、
凶事は言葉に出すと何と無く実現してしまいそうな心持がするものである。
それで彼等も、恐ろしい熊を可愛いコドモと言っているのであろう。
厚意的忠告か、私の目的も山菜採りと解釈した上で、
排除しようとの悪意に基づく厭がらせか、ちょっと図り兼ねる口振りである。
斯様にはっきりしない場合、私は厚意と取って置く事にしているので、
今日も「ま、山だから熊は居るさ」とだけ言って通り過ぎた。
鶯の唄を聴き乍ら更に上り、景色の佳い所で、昼食を摂ろうと腰を下ろした。
鶯はここでも囀り、山藤が咲き誇っている。
熊も居れば藤も咲き、猪が居れば鶯も啼く、山菜も採れればトリカブトもあり、
松茸があればツキヨタケも在るのがヤマと言うものである。
第一ヤマばかりが危ない訳ではない。熊にしても、寧ろ町に出てこそ大騒ぎになり危険も大きい。
平地を歩いていても、後ろから車に撥ねられる事がある。地震はどこで起きても不思議が無い。
ミサイルはいつ飛んで来るか知れたものではない。
又、大きな隕石にでも衝突されたら一溜りも無い。
要するに生きている限りは、防ぎようも無い危険と隣りあわせて暮らすしか手は無い。
くよくよ心配し過ぎても甲斐が無い上に不幸である。
熊への備え同様に、出来るだけの事をしたら後は、何の根拠も無くとも、
対岸の火事と決め付けてしまってなるべく暢気に過ごすように努めた方が仕合わせというものであろう。