日本と云うのは、世界と渡り合う為の戦略を持つに不得手である。地政学的状況がそれを殆ど要求して来なかったのであるから、無理も無い。その事が災いして稀にそれの必要な状況に陥った際には、どうしても泥縄になってしまうのも又、無理ではない。結果が碌な事にならないのも当然無理ではない。
不得意の事物に敢えて親しむのは苦痛である。苦痛を避けて、世界戦略をなおざりにし勝ちな自身のシンタリティを甘やかして、一朝事ある時々に初めておざなりの戦術を弄して、何とか乗り切って来たのが、吾人の在りようである。
それは恰もビルの二階にいて、一階の出火に慌てふためき、窓から飛び降りるのを躊躇っているうちに、火に追い上げられて十階から飛び降りざるを得なくなる、と云った事を繰り返して来た様なものである。大東亜戦争の顚末なども、その一つである。