誰が書いた詩なのかは分かりませんが、以前こんな内容の話を聞いた事があります。
水槽の中に一匹の蛸がいる。
そしてその蛸はかなり腹をすかしていた。
そこにはエサになる物が何もないので、蛸は自分の足を一本食べてみた・・・。
そして続いて2本目も食べた。
続いて3本目も・・・。
ついには蛸は自分自身を食べて、全てを飲み込んでしまった。
そして水槽は空っぽになった。
水槽の中は何も見えないが、そこにはただ欲望だけがうごめいていた。
人から聞いた話ですので、正確なものではないのですが、まあ大体こんな内容だったと思います。
この水槽の中は、一見何もない「無の状態」のように見えますが、例えばここに蛸のエサになるような物を入れてみたらどうなるでしょう。
多分「欲望の空間」に飲み込まれて、一瞬の内にパッと消えてしまうのではないでしょうか。
この空間は一見「無の状態」のように見えますが、実は「物を飲み込んでしまう」という「働きのある空間」だったのです。
私の好きな言葉の一つに「泉の如く」という言葉があります。
これは自分自身の理想としての言葉なのですが、今述べた話とは全く逆で、「物があふれ出る空間」の話です。
若い頃、私は中国の「無の思想」や仏教の「空の思想」に魅かれて、座禅を数ヶ月間やってみた事があります。
そして「無心」というものを体験したかった訳なのですが、その時の私は「無」とか「無心」とかいうものを、「何もない、静かな、動きのない空間」だと想像していたのです、
ところが考えてみますと、驚いた事に、宇宙の中に「静止した時間」も「静止した空間」も「静止した物質」も、全くないという事に気が付きました。
例えば、いくら立ち止まっていても、地球の回転と一緒に動いてる訳ですし、宇宙はビッグバンによって生まれ、その後の空間は膨張をし続けていますし、それだけでなくどの生物も進化を続け、生死を繰り返して休む事を知りません。
これは本当に驚きでした。
この広い宇宙の何処かに、静止した状態というものが、少しはあっても良さそうなものです。
それでいつの頃からか、どうも宗教で言う「無の状態」というのは、「何もない静止状態」の事ではないのではないか、と考えるようになって来ました。
「無」というのは、物を生み出す空間、生命の誕生、あふれ出る愛情、素晴らしいアイデア、閃きによる発明、美の創造など、動的なエネルギーが「泉の如く」湧き出る空間なのではないだろうかと・・・。
こんな事を考えるようになってからというもの、「泉の如く」という言葉が好きになって来た次第です。
水槽の中に一匹の蛸がいる。
そしてその蛸はかなり腹をすかしていた。
そこにはエサになる物が何もないので、蛸は自分の足を一本食べてみた・・・。
そして続いて2本目も食べた。
続いて3本目も・・・。
ついには蛸は自分自身を食べて、全てを飲み込んでしまった。
そして水槽は空っぽになった。
水槽の中は何も見えないが、そこにはただ欲望だけがうごめいていた。
人から聞いた話ですので、正確なものではないのですが、まあ大体こんな内容だったと思います。
この水槽の中は、一見何もない「無の状態」のように見えますが、例えばここに蛸のエサになるような物を入れてみたらどうなるでしょう。
多分「欲望の空間」に飲み込まれて、一瞬の内にパッと消えてしまうのではないでしょうか。
この空間は一見「無の状態」のように見えますが、実は「物を飲み込んでしまう」という「働きのある空間」だったのです。
私の好きな言葉の一つに「泉の如く」という言葉があります。
これは自分自身の理想としての言葉なのですが、今述べた話とは全く逆で、「物があふれ出る空間」の話です。
若い頃、私は中国の「無の思想」や仏教の「空の思想」に魅かれて、座禅を数ヶ月間やってみた事があります。
そして「無心」というものを体験したかった訳なのですが、その時の私は「無」とか「無心」とかいうものを、「何もない、静かな、動きのない空間」だと想像していたのです、
ところが考えてみますと、驚いた事に、宇宙の中に「静止した時間」も「静止した空間」も「静止した物質」も、全くないという事に気が付きました。
例えば、いくら立ち止まっていても、地球の回転と一緒に動いてる訳ですし、宇宙はビッグバンによって生まれ、その後の空間は膨張をし続けていますし、それだけでなくどの生物も進化を続け、生死を繰り返して休む事を知りません。
これは本当に驚きでした。
この広い宇宙の何処かに、静止した状態というものが、少しはあっても良さそうなものです。
それでいつの頃からか、どうも宗教で言う「無の状態」というのは、「何もない静止状態」の事ではないのではないか、と考えるようになって来ました。
「無」というのは、物を生み出す空間、生命の誕生、あふれ出る愛情、素晴らしいアイデア、閃きによる発明、美の創造など、動的なエネルギーが「泉の如く」湧き出る空間なのではないだろうかと・・・。
こんな事を考えるようになってからというもの、「泉の如く」という言葉が好きになって来た次第です。
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