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無題

2008年08月04日 16時42分07秒 | コスタリカ
板橋で首都高が燃えたらしい。
ガソリンを満載したタンクローリーが横転して燃えたとのこと。
現在首都高は通行止めで、波及して首都の交通は大きな混雑の影響がでてるらしい。

積載油量20キロリットルで通行止めになった。首都ではかなりの混雑らしい。
単純な計算だが、これをふまえるとポイント押さえされすれば100キロリットル程度で首都高全滅は可能で、それこそ、ローリー5台のスタックで治安部隊の展開は不可能となる可能性もあるようにおもえる。
首都防衛の脆弱性は常々問題になっていることでもあるが、未だ結論はだせないままであり、膨張する成長の速度に追いつかず、ある意味で問題点が露呈したのが今回の事件かも知れない。

ふと思った。いろいろ言葉として新聞にも出ているが「有事」ってなんだろう。
私がいるコスタリカは平和憲法かなにかしらないけど、とりあえず軍隊を放棄しているとして頑張っている。ただ、憲法と違う部分で陰の現実としては実は米軍との協定といった形で相互関係を結んで、いわゆる有事の際における安全保障という形で保険を張っている。言葉とか表現は大事だと思うが、軍隊を放棄しても結局安全保障の問題は残り続けるという現実は一国家としてあり続ける上では避けられない現実で、ある意味ではいろいろな担保の形式で至極自然な形でもあり、まあ、非常にコスタリカはうまくやってるな・・と、平和ってのは結局、軍事力と政治力と財力とトータルの国の力と、そして、世界全般のなま暖かい眼差しのトータルバランスの上になりたっている現実に気づいて、若干愕然とした。
手放しでは、そしてなされるがままではレイプされる。この10年間みても守るべき資源や権利とか、直接の生活に関係ないからかもしれないが、ご近所とはゴタゴタおこしたくないし、ということでなし崩しになって居ないだろうか。
いわゆる「有事」とは国が国である上に於ける、それを揺るがす事態の発生と思うのだが、対応の基準もままならない状況のようだ。

首都高の単純事故から妄想を膨らましたが、国が国であるということ、そして、日本であることを主張するにはちょっとだけ忍耐と揺るぎない信念が、不本意ながらさらに必要だと思いました。
極論ですが、テロ対策は国民一人一人が当事者意識を持たない限り、対応が不可能な状況にあります。

このタンクローリーが燃えた話は事件性はないようですが、いろんな意味で分析・警戒・そしてそれらをふまえて判断すべきではないでしょうか。


いつもの愚痴の一部になっちゃった。
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