これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

宝石のこと

2021-08-22 10:37:29 | 日記

すみません、長文です。

祖母も母も姉も高価な宝石が好きです。

祖母も母も姉もおしゃれで、洋服も高価なものを身につけていました。

普通の家庭です。

 

私はというと4人の子育てを、まさに髪を振り乱して奮闘していました。

宝石のほの字も生活の中にありませんでした。

 

祖母が亡くなり、高価なものは伯母や叔母、姉に行きました。

 

私は母が亡くなる前に大きなオパールの指輪をもらい受けました。

これは父がオーストラリアに行ったときに、母のために買ってきたものです。

父も宝石が大好きでした。母によく宝石をプレゼントしていました。

私にはクジラの牙?骨のネックレスを買ってきてくれました。

 

姉からは黒っぽい真珠の指輪とネックレスをいただき、冠婚葬祭などに身に着けていました。

その黒っぽい同じような真珠のイヤリングがあれば3点セットになると思い、何年も探していました。

そして、ご縁をいただいた貴金属店から招待状をいただき、展示即売会に足を運んだ際に、希望のイヤリングがありました。

しかーし、私にとっては高価なものでしたが、長年探し続けていたものだけに、迷いはありませんでした。

主人の借金も順調に返済しているし、大丈夫と、ローンを組み、それもあと少しになりました。

でも、心の片隅には、あーあ、ローンなんてなんてことだ。私の大っ嫌いな借金。これっきりにしよう。そう決心したのが3年くらい前。

そして、何度も展示即売会のお誘いのお知らせが来ましたが、買う気がないため、スルーしていました。

 

今年の、6月のこと、担当者から、お電話があり、ぜひ来てくださいとのこと。

コロナで大変なのだろうなと、目の保養に行ってもいいかなと思いまして、行ってみました。

行ったが最後。アクセサリーを入れるトレーを持った担当者が、ちょっとでも見ていた宝石を次々にトレーに入れていきました。

えー!!!アクセサリーを首にかけさせて、もう購入候補です。

そうか、会場に、もう足を運んだ時点で、購入する前提なんだ!!!こういう場に不慣れな私は、やっと気が付いたんです。

それならと、目を皿のようにして、アクセサリーを見ていきました。バックも、時計もありました、それには目もくれず、とにかく直感を駆使して、一つのパワーストーン系のネックレスが気に入りました。

もちろん1万や2万円じゃありません。

それを購入予約して、新品も出来上がり鑑定書ができたらお店に取りに行くという段取りでした。

1ヶ月くらいしてから連絡が来て、宝石と鑑定書ができましたとのこと。

取りに行きました。

品物をもらう前に、担当者が、売れ残りのアクセサリーを取り出してきて、これはどうですかと、営業しだしました。

え?なんのこと、私は注文したものを取りに来ただけよ。

そしてしつこく、次から次にアクセサリーを出してきて、これはどうですかと。

断ってるでしょ。なんなの?ばかですか?

もう買わないと帰れない雰囲気。

この中でどれが一番いいですか?わたしもばか。このなかならこれかなと言ってしまった。

じゃ、これにしましょう。と。やられた!!

家に帰って、どうしても納得がいかなくて、3日後にクーリングオフをしたい旨を伝えたら、お店に来て買う約束をしたんだし、もう鑑定書を注文しているからできませんとのこと。

これはわたしがのぞんで購入したものじゃないよ。取りに行っただけで、いわば押し売り。

ローンでどうですかを繰り返す担当者。ローンをして、亡くなったら相続人が困るじゃない!!!

でもネックレスがかわいそうに、私の所に来たかったのかもしれない。

 

この件を友人に、言ったら、 「勉強代だね。金持ちに見られたのかもしれないよ。でもひどいね、私はそういうところに行ったことがないから、私も勉強になった。」と言ってくれました。

とにかく貴金属の担当者は、私が借金を返済しているのも知らないし、働いてるのだから、ローンが組めるでしょ、という思い込みが薦める原因。その思い込みが嫌で、さすがに無理して、現金で支払いました。

 

もう買いません。ぜいたく品。

物を減らしているのに、嫌な思いをしてまでも買うか?私も弱い。

ごめんね、押し売りされたパールのネックレス、キラキラしていてかわいいからね。

ちゃんと見につけます。

担当者の電話は着信拒否にしました。だって、行かなきゃいけなくなる状況になるのが目に見えていますから。

やっぱり、私も宝石が好きなのかもね。

 

 

 

 


これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。