投資家の目線

投資家の目線804(ゴルバチョフ回想録 上巻)

 「ゴルバチョフ回想録 上巻」(ミハイル・ゴルバチョフ著 工藤精一郎・鈴木康雄訳 新潮社)には、ソ連とブルガリアの関係(投資家の目線802(ゴルバチョフ回顧録に見るソ連とブルガリアの関係) 投資家の願い)以外にも、現在でも参考になる記述がある。

 ゴルバチョフ氏がモスクワ大学に入学したころは後期スターリニズム時代で、『「亡国のコスモポリタニズム[世界市民主義]反対」という有名なキャンペーンが行われた』(p.81)という。トランプ大統領の唱える「アメリカ・ファースト」や、ブレグジット、TPPのような多国間経済協定反対などもコスモポリタニズム反対の一環と言える。

 「若者たちの雇用問題では、最初のころ私はスタヴロポリの役所や企業の幹部たちとかなり摩擦を起こした。残念ながらこうした指導的立場にある人の多くは、冷淡で、無関心な人間であることがわかった」(p.115)。日本でも新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新卒者の採用が減るようだ(『新卒採用「減」が「増」上回る コロナ影響、11年ぶり―リクルート』 2020/12/21 時事ドットコム)。トランプ大統領への支持でも工場の外国への移転などに伴う雇用の問題がある。

 フルシチョフの党委員会の分割に関しては、「党による権力独占を薄め、昔の“知事”や“領主”のような絶大な権力を取り上げ、その道の大家、専門家、プロにそれぞれの分野の仕事をやってもらおうという狙いがあったのではないだろうか」(p.128)と推測している。日本でも地方分権が言われるが、中央政府による権力独占を薄め、地域の事情に精通した「専門家」に任せようという考え方に見える。ペレストロイカの時、ゴルバチョフ氏も「ソ連共産党による権力独占を廃止することはソ連国民の利益になり、共産党それ自身、少なくとも一千万を越す一般党員のプラスになると私は確信した。」(p.608)という。

 1971年のイタリア訪問時には、イタリアでは「大学卒業者の中に多数の失業者がいる」(p.207)、フィアットの発展に伴い「北部地方にやって来た七十万人の労働者のうち五十万人は南部からだった。(中略)トリノでは住宅が不足していた。家賃が高騰し、月給の三分の一から半分ほどにまでなった。われわれのグループの誰かが、実はロシアの中心部でも同じことが起こっている。しかも中心部だけではない、と言った。生産企業の建設競争が村の衰退を招き、都市はますます人口過剰になり、人々は貧困化している」(p.207)という。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、日本でもオフィスの地方分散が見られるようになった。しかし、一方では製造業の人員整理も進んでいる。このままでは地方の衰退を止められないのではないのだろうか?

 「ユーリー・ウラジーミロヴィチはそれまでにも何度か、内務省の機構は買収され、マフィア組織との癒着の気配が見えており、こうした状態では増大する犯罪に対処することは内務省には無理だ、と語っていた。」(p.289、ユーリー・ウラジーミロヴィチ[アンドロポフ])という。最近の政治と裏社会という関係では、下関市の安倍晋三衆議院議員の事務所と自宅に工藤会関係者が火炎瓶を投げ込んだ一件が思い出される。

 『ブレジネフは「われわれの最優先課題はパンと国防だ」とくりかえすことを好んだ。実際には公式は順序が違って「国防とパン」になっていた』(p.364)。雇用や福祉の問題より敵基地先制攻撃の議題を優先する日本も、「国防とパン」の順序になっているようだ。

 「スターリンは反政府的な哲学者、芸術家、作家、音楽家たちを倦むことなく制裁しながら、同時に自分の信念から、あるいは生きのびるために権力に協力するこの分野の人間たちには、援助を惜しまなかった。(中略)早くもペレストロイカの初期に、権力によって甘やかされ、かわいがられてきた創作芸術エリートの大部分はもっぱらこれらの特権の保持に汲々としていることが明らかになった。」(p.416)。これを見ると、日本でも政権を擁護する発言をする芸能人がいるのはおかしなことではないことがわかる。グリコ・森永事件でも、警察がある組織を調べると「政界や文化人の中に支持勢力を持っていて、すぐに捜査に対して抗議や圧力をかけてくる」(「闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相」一橋文哉著 新潮社p.204)といい、政権に近い勢力などの特定集団とつながる文化人も多いのだろう。

 ゴルバチョフ氏は国内価格を世界市場価格に近付けるべく価格形成の自由化を行おうとしたが、急進・民主的野党勢力の反対にあい経済改革がとん挫、政権に対する弾劾文を掲載する過激的な新聞もあったという。しかしゴルバチョフは、『この筆者たちに、「ショック療法」がもたらした恐るべきインフレと物価狂騒が、現実に数百万の人々を破滅の淵に立たせている一九九四年の今、自分の書いたものを思い出してもらいたいものである。』(p.452~453)と主張する。ハイパーインフレというと第一次大戦後のドイツ、最近のジンバブエやベネズエラなどのレアケースを挙げる向きが多いが、ガイダル氏による経済改革後のロシアなど、ハイパーインフレになるケースは結構ある。

 水爆を完成させ、三つのソ連英雄勲章を受賞した愛国者だったが、後に反ソヴィエト主義とされたサハロフ博士のことも書かれている(p.556)。学術的な功績があっても政府から任用を拒否されることもある日本学術会議の事件を思い出す。

 『民主派のマスコミが始めた強力な特権反対キャンペーンは、比喩的に言えば、われわれが官僚を「国家のパイ」を退けた時に、完全に正当化され、官僚の抵抗を麻痺させることを助けたのである。ところがその過激派が政権をとると、文字通りその翌日にはこの「魂の美しい衝動」はことごとくきれいに忘れられてしまった。(中略)「新階級」は国家機関の援助で、力を貸した人々のことは忘れて不動産を買いあさり、国民が貧困に苦しんでいる時に、商人たち顔負けの大宴会を楽しんでいた、まさにほんものの「ペスト流行時の宴」である』(p.578~579)。「身を切る改革」を標榜する人々も、政権をとったとたんその精神をきれいに忘れ去ることがないようにして欲しいものである。

 ゴルバチョフ氏は「急進経済改革は強力で独裁的な政権という効果的な“盾”に防護されて実施される場合にのみ成功するという趣旨」(p.608)の論文に同意する。その理由は、「権力行使のテコを手中に収めなければ、またわれわれが追及する改革の前途に必ず立ちはだかる抵抗を克服するだけの権力を持たなければ、成果のある改革を実現することは不可能だということを理解できないほど私たちは“お人好し”ではなかったからだ。」(p.608~609)という。民主党政権時代に菅直人首相は『議会制民主主義は「期限を切った独裁」』と発言したが、民主党の改革は独裁的な政権という効果的な盾がなかったために上手くいかなかったのではないのだろうか?

 同書は、民族政策についても書いている。宗教的影響を排除する闘いが不十分だった地域で、少数民族出身の幹部が死去した際に、儀式が異なる葬儀に出席するかどうかの判断の問題(p.631)、最近でも紛争が起こっている「アゼルバイジャン、アルメニア両国では数え切れないほどの党・政府高官が汚職に手を汚していた。ペレストロイカが開花し始めた時、こうした高官たちは自分の地歩が揺らぎ始めていることを感じた。民族紛争を扇動しようと試みたのはまさにこの連中だったのだ。」(p.650)ということが記されている。「桜を見る会」や元農相の現金受領疑惑で揺れる自由民主党も、敵基地攻撃論など近隣諸国と対立を煽ることに熱心だ。

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