どんな時代でも季節は巡ってくるのですね。
鬱々とした日々の中で小さな春を見つけた時の喜びはひとしおです。
癒されて元気をもらえます。
ロシアのウクライナへの軍事侵攻は76年前の私の記憶を呼び戻しました。
太平洋戦争勃発の翌年の昭和17年に私は中国の新京(現・長春)で生まれました。
記すと長くなりますので省きますが、商社に勤めていた父が現地召集されて母と弟、私の三人が新京に残されました。
ソ連参戦により、唐突にソ連機の空襲、当時三歳だった私の記憶はここから始まります。
やがて終戦、新京の街にもソ連軍が侵入してきて、略奪、暴行が始まり、お寺の便所に息を潜めて隠れていたことを記憶しています。
父はソ連軍に拉致されシベリアの地に抑留されました。
幼子二人を抱えての日本への引き揚げの旅、母の苦労はいかばかりだったことでしょう。
幼心にも強烈だった引き揚げの旅は絵柄で私の脳裏に刻みこまれています。
南九州の祖父母の許にやっとの思いで辿り着くことが出来た母子三人。
やがて父もシベリアから私たちの元に戻ってきましたが、極寒と強制労働、戦友の死、それらは父の人生観を変えてしまいました。
戦争は尊い命を奪い、家族を引き裂きます。
絶対に戦争はやってはいけません。
ウクライナに平和が戻ることを心から願うばかりです。
これ以上、尊い命が奪われませんように。
いま、私は生きてきた今日までの色々なことが思い出されてきて鬱々としています。
今朝の庭
昭和18年6月撮影 北京にて
私1歳半、弟(昭和19年生)が生まれる前、北京の祖父母の元に預けられていました。
祖父は終戦前に日本に帰国していますが、私を連れて帰ろうかという話もあったそうです。