祝允明(1460-1526)
生まれた時から指が一本多かったと言われている。
稀代の放蕩児であったらしい。
中年に至るまで酒を愛し放縦な生活で過ごし知事の要職を得たのは55歳であった。
しかし、翌年には退職し隠遁生活に入る。
呉中の4才子の一人に数えられ、小楷では明代随一とされた。
行草に於いても優れた作品を残している。
赤壁賦
祝允明はいろいろな書体で書いた赤壁賦を残している、
それ程に蘇軾を愛し、蘇軾の書を好んだのであろう、
彼の草書には三つの書風が見られる。
その一つが、この赤壁賦の如き秀麗華麗な普通の草書である。