また勢いで妙なことを始めることになってしまいました。
1ヶ月ほど前、kjさんが突然
「ねえ、中山道を歩いてみない?」
と言い出したのです
そして、インターネットで中山道のウォーキングマップを探し出し、大量にプリントアウト。
中山道は家のすぐ近くを通っているし、確かに歩いてみたら楽しそうだなとは思っていましたが、始めたらやめられなくなりそうだったので今まで黙っていたのですが・・・。
まあぼちぼち歩いてみますか
ちなみに中山道とは・・・
1601年(慶長6)に江戸幕府により宿駅・伝馬制度が整備された5街道の1つで、
日本橋から京都三条大橋までの約532km、69宿(草津と大津の宿は東海道と重複)の行程。
東海道が太平洋沿いで比較的平坦な道のりだったのに対し、中山道は山岳地帯の険しい道が多いのが特徴。
夏に私たちが歩いた横川から軽井沢までの山道はこの中山道の一部でした。
というわけで、年末年始のお休みを使って中山道歩き第一回目に行ってきました。
(二回目がいつになるかは分かりません・・・)
スタートは日本橋。
電車で東京駅まで行って、出発点の日本橋を目指します。
近くのカフェで朝ごはんを食べて、さあウォーキング開始です
ここが出発点の日本橋。
今はこんな感じで高架下になっています。
日本橋を出てすぐ左側に見えてくるのが日本橋三越デパート。
私たちが行ったときは年末だったので、入り口には見事な門松が
いつかゆっくり買い物に来てみたい
ちなみに三越デパートの前身はこの地で1683年(天和3)に三井八郎右衛門高利が開いた呉服店越後屋なのだそうです。
三越を過ぎてしばらく歩くとこんな看板を発見。
十軒店跡。
江戸時代初めに桃節句・端午節句に人形を売る店が10軒あったところからその名がつけられたらしいです。
江戸時代からかなり賑わっていた場所なんでしょうね。
神田駅の近くまできました。
この辺はインラインのブーツや雪山グッズを探したりするために何度か来たことがあるので、見覚えのある風景。
近くに測定器の専門店があります。
さあ、東大の前まで来ました。
有名な赤門です。
ちなみに後で板橋観光センターのガイドの方から聞いたのですが、東京大学の敷地はもと加賀金沢前田家の上屋敷跡で、赤門は1827年(文政10)に11代将軍家斉の溶姫が前田斉泰に嫁いだ時に建てられたものなのだそうです。
東大を過ぎて少し歩くと追分一里塚案内板を発見。
ここは日光御成道との分かれ道で、日本橋から最初の一里塚だそう。
ちなみに一里塚としての形を残しているところはほとんどなく、だいたいがこのような形で案内板があるのみとのこと。
巣鴨駅周辺は個人的に馴染み深い場所。
なぜなら私は7歳のときまで巣鴨のお隣の駒込に住んでいたから。
駒込と巣鴨はさほど離れてなく、巣鴨は小さい頃のお散歩コースでした。
懐かしいなぁと思いながら巣鴨駅前の商店街をてくてく
巣鴨の駅前を通っているのは国道17号ですが、旧中山道はここからとげ抜き地蔵のある商店街の方へ逸れていきます。
とげ抜き地蔵周辺はいつも人が多いですね。
巣鴨から板橋方面に歩いていると、左手に近藤勇のお墓を発見。
近藤勇は捕らえられてからしばらくは現在板橋観光センターのある辺りに滞在、そして板橋駅前の広場辺りで処刑されたとのこと。
板橋宿は日本橋から約10kmのところの中山道の最初の宿場。
南北に長いのが特徴で、昔はかなり賑わっていたらしい。
板橋観光センターには中山道に関する展示があって、なかなか興味深かったです。
そしてそこのガイドの方が中山道にとても詳しく、いろいろ教えていただきました。
(結局観光センターに30分くらいいた・・・)
板橋には二つ有名な場所があり、ひとつは地名の由来にもなっている「板橋」。(写真上)
板橋の名は平安時代の「源平盛衰記」にもその名がある古い橋で、その後何回か架け替えられ、江戸時代の橋は太鼓橋で長さ16.2m、幅5.4m。
現在の橋は1972年(昭和42)河川改修にともない架け替えられたものだそうです。
そしてもうひとつが「縁切榎」。(写真下)
皇女和宮の降嫁の際にはこの縁切榎の前を通るのは縁起が悪いからと迂回ルートまで作ったらしい。
ちなみにこの縁切榎は三代目で、初代縁切榎の一部は板橋観光センターに展示されていました。
板橋宿から荒川方面へ歩いていくと道の両側に志村一里塚があります。
ここは完全な形で両側の一里塚が残っていて、国指定文化財になっているそうです。
この後清水坂などを通り荒川へ向かう途中、左側にチョコレート工場を発見。
(中山道とは全く関係ありませんが)
このチョコレート工場で平日限定で販売されているプレミアムミルクチョコレート。
これが絶品なのです
以前親戚のおばさんに送ってもらって、もう一度食べたいなと思っていたのですが、どこで売っているかが分からなかったのです。
まさかこんなところで出会えるとは
(でもこの日は工場がお休みで買えなかった)
このチョコレート、工場限定品で普通のお店では買えないのだそうです。
今度このチョコレートのためにここまで来たいと思います
いやー、場所が分かって良かった
さあ、そろそろ東京とはお別れ。
埼玉県に入ります。
荒川を渡ってまずは戸田市へ。
江戸時代には防衛の観点から荒川に橋は架かっておらず、荒川を渡るには船に乗るしかなかったそうです。(戸田の渡し)
渡船場は明治8年(1875)に長さ135mの木橋の初代戸田橋が架けられるまで続いたとのこと。
戸田を過ぎると蕨宿に到着。
ここは中山道の町並みを保存する取り組みが行われているらしく、とても趣のある良い場所でした。
できれば歴史民俗資料館にも寄りたかったのですが、時間がなかったため断念。
蕨宿本陣跡。
この蕨宿はじっくり見学したいので、後日別枠でまた来ることにしました。
結局今回は浦和宿まで歩きました。
浦和宿本陣跡。
ちょっと通りから入ったところにあり、分かりにくかったです。
近くにサツマイモを持った農夫のブロンズ像があって、それが目印かな。
浦和はあんまり街道っぽいところが残っていなくて、完全に街でした。
次回は浦和駅からの出発になります。
まあいつになるかは分かりませんけどね
1ヶ月ほど前、kjさんが突然
「ねえ、中山道を歩いてみない?」
と言い出したのです
そして、インターネットで中山道のウォーキングマップを探し出し、大量にプリントアウト。
中山道は家のすぐ近くを通っているし、確かに歩いてみたら楽しそうだなとは思っていましたが、始めたらやめられなくなりそうだったので今まで黙っていたのですが・・・。
まあぼちぼち歩いてみますか
ちなみに中山道とは・・・
1601年(慶長6)に江戸幕府により宿駅・伝馬制度が整備された5街道の1つで、
日本橋から京都三条大橋までの約532km、69宿(草津と大津の宿は東海道と重複)の行程。
東海道が太平洋沿いで比較的平坦な道のりだったのに対し、中山道は山岳地帯の険しい道が多いのが特徴。
夏に私たちが歩いた横川から軽井沢までの山道はこの中山道の一部でした。
というわけで、年末年始のお休みを使って中山道歩き第一回目に行ってきました。
(二回目がいつになるかは分かりません・・・)
スタートは日本橋。
電車で東京駅まで行って、出発点の日本橋を目指します。
近くのカフェで朝ごはんを食べて、さあウォーキング開始です
ここが出発点の日本橋。
今はこんな感じで高架下になっています。
日本橋を出てすぐ左側に見えてくるのが日本橋三越デパート。
私たちが行ったときは年末だったので、入り口には見事な門松が
いつかゆっくり買い物に来てみたい
ちなみに三越デパートの前身はこの地で1683年(天和3)に三井八郎右衛門高利が開いた呉服店越後屋なのだそうです。
三越を過ぎてしばらく歩くとこんな看板を発見。
十軒店跡。
江戸時代初めに桃節句・端午節句に人形を売る店が10軒あったところからその名がつけられたらしいです。
江戸時代からかなり賑わっていた場所なんでしょうね。
神田駅の近くまできました。
この辺はインラインのブーツや雪山グッズを探したりするために何度か来たことがあるので、見覚えのある風景。
近くに測定器の専門店があります。
さあ、東大の前まで来ました。
有名な赤門です。
ちなみに後で板橋観光センターのガイドの方から聞いたのですが、東京大学の敷地はもと加賀金沢前田家の上屋敷跡で、赤門は1827年(文政10)に11代将軍家斉の溶姫が前田斉泰に嫁いだ時に建てられたものなのだそうです。
東大を過ぎて少し歩くと追分一里塚案内板を発見。
ここは日光御成道との分かれ道で、日本橋から最初の一里塚だそう。
ちなみに一里塚としての形を残しているところはほとんどなく、だいたいがこのような形で案内板があるのみとのこと。
巣鴨駅周辺は個人的に馴染み深い場所。
なぜなら私は7歳のときまで巣鴨のお隣の駒込に住んでいたから。
駒込と巣鴨はさほど離れてなく、巣鴨は小さい頃のお散歩コースでした。
懐かしいなぁと思いながら巣鴨駅前の商店街をてくてく
巣鴨の駅前を通っているのは国道17号ですが、旧中山道はここからとげ抜き地蔵のある商店街の方へ逸れていきます。
とげ抜き地蔵周辺はいつも人が多いですね。
巣鴨から板橋方面に歩いていると、左手に近藤勇のお墓を発見。
近藤勇は捕らえられてからしばらくは現在板橋観光センターのある辺りに滞在、そして板橋駅前の広場辺りで処刑されたとのこと。
板橋宿は日本橋から約10kmのところの中山道の最初の宿場。
南北に長いのが特徴で、昔はかなり賑わっていたらしい。
板橋観光センターには中山道に関する展示があって、なかなか興味深かったです。
そしてそこのガイドの方が中山道にとても詳しく、いろいろ教えていただきました。
(結局観光センターに30分くらいいた・・・)
板橋には二つ有名な場所があり、ひとつは地名の由来にもなっている「板橋」。(写真上)
板橋の名は平安時代の「源平盛衰記」にもその名がある古い橋で、その後何回か架け替えられ、江戸時代の橋は太鼓橋で長さ16.2m、幅5.4m。
現在の橋は1972年(昭和42)河川改修にともない架け替えられたものだそうです。
そしてもうひとつが「縁切榎」。(写真下)
皇女和宮の降嫁の際にはこの縁切榎の前を通るのは縁起が悪いからと迂回ルートまで作ったらしい。
ちなみにこの縁切榎は三代目で、初代縁切榎の一部は板橋観光センターに展示されていました。
板橋宿から荒川方面へ歩いていくと道の両側に志村一里塚があります。
ここは完全な形で両側の一里塚が残っていて、国指定文化財になっているそうです。
この後清水坂などを通り荒川へ向かう途中、左側にチョコレート工場を発見。
(中山道とは全く関係ありませんが)
このチョコレート工場で平日限定で販売されているプレミアムミルクチョコレート。
これが絶品なのです
以前親戚のおばさんに送ってもらって、もう一度食べたいなと思っていたのですが、どこで売っているかが分からなかったのです。
まさかこんなところで出会えるとは
(でもこの日は工場がお休みで買えなかった)
このチョコレート、工場限定品で普通のお店では買えないのだそうです。
今度このチョコレートのためにここまで来たいと思います
いやー、場所が分かって良かった
さあ、そろそろ東京とはお別れ。
埼玉県に入ります。
荒川を渡ってまずは戸田市へ。
江戸時代には防衛の観点から荒川に橋は架かっておらず、荒川を渡るには船に乗るしかなかったそうです。(戸田の渡し)
渡船場は明治8年(1875)に長さ135mの木橋の初代戸田橋が架けられるまで続いたとのこと。
戸田を過ぎると蕨宿に到着。
ここは中山道の町並みを保存する取り組みが行われているらしく、とても趣のある良い場所でした。
できれば歴史民俗資料館にも寄りたかったのですが、時間がなかったため断念。
蕨宿本陣跡。
この蕨宿はじっくり見学したいので、後日別枠でまた来ることにしました。
結局今回は浦和宿まで歩きました。
浦和宿本陣跡。
ちょっと通りから入ったところにあり、分かりにくかったです。
近くにサツマイモを持った農夫のブロンズ像があって、それが目印かな。
浦和はあんまり街道っぽいところが残っていなくて、完全に街でした。
次回は浦和駅からの出発になります。
まあいつになるかは分かりませんけどね
しかも、もう浦和まで
今週の3連休で自宅を通り越してしまいそうな勢いですね。
でも、歩いているといろいろな景色が見えて、ふだん気付かないこともたくさんありますし楽しいですよね。
ゴールまでは長い道のりですが頑張ってください。
2回目のレポート 早くも楽しみ♪
途中でお出迎えってのも 面白そう~
そして中仙道!
神輿を担ぐときは中山道は裸足で担ぎます。
きっと昔の人もそうやってこの道で
神輿を担いでいたんだろうと思うと
何度担いでも感動的です。
浦和に生まれてよかったなーと思います。
やっぱり歩くスピードだといろいろなものが目に飛び込んできますね。
ただ、自宅にたどり着くのはまだまだ先だと思いますw
本庄にたどり着くまではあと2,3回歩かなくちゃですね。
上州路も楽しみです♪
調神社の前を通りましたよ。
お祭りのときには賑やかなんでしょうね。
お祭りって昔の様子が垣間見られる感じがして好きです。
11月の本庄のお祭りも中山道に沿って大々的に行われるんですよ。
あたしも、歩いたりしたいんだけど週1日しか休みがない旦那の事を考えるとなかなかできなくてねー。
がんばってねー。
遠出した次の日に仕事ってけっこうきついですからね・・・。
うちも仕事の前日は比較的おとなしくしています。