行ってきました。
中山道歩き第三回目。
今回は桶川駅からのスタートです
というわけで、桶川宿の途中から散策。
桶川宿とは・・・
江戸から出た旅人が最初に宿泊することが多い場所。
現在の町並みは、寛永12年(1635)にほぼ完成し、周辺地が口紅や食紅の原料となるベニバナの生産地として、出羽の最上に次ぐ全国2番目の生産量を誇るようになり、その問屋が店を並べるようになったため繁盛した。
荒川の太郎右衛門河岸から江戸へと出荷され売りさばかれたが、明治以降化学染料の普及でべにばなは衰退に向かう。
旧中山道と国道17号が分岐したため、道幅改修などのあおりを受けず、さらに戦災も免れたため、建築物も残り、宿場の面影を有している。
確かに浦和や大宮に比べてかなり宿場町の雰囲気が残っている感じがしました。
古い建物も多いし。
特に蔵が多い感じがしました。
穀物問屋木嶋屋の総本家・島村家の、1836年(天保7)建築木造3階建て土蔵。
別名「お助け蔵」。
この土蔵の建築工事は、天保大飢饉にあえぐ人々に仕事を与え、その報酬で多くの民が餓えから救われたことから「お助け蔵」と呼ばれるようになったのだとか。
他にもこんな感じで蔵造りの建物が。
ここは矢部家って書いてあったかな。
府川本陣跡。
桶川の中心地を過ぎるとしばらく何もありません
冷たい風が吹く中、修行のようにひらすら歩く・・・。
で、北本宿に到着。
ちなみに北本の地名の由来は・・・
江戸時代初期、この地が中山道の宿駅で本鴻巣村と呼ばれていた。
その後宿駅が現在の鴻巣の地に移されて、宿駅のあったところは本宿(元宿)村と呼ばれ、これが北本の地名の起こりとなった。
・・・のだそうです。
途中、中山道古道にある原馬室一里塚を訪ねるためちょっと現中山道を離脱。
線路沿いの細い道を進みました。
そして・・・
原馬室一里塚発見。
これは西側の一里塚。
東側の一里塚は高崎線を通すときに壊されてしまったとのことです。
本道に戻り、鴻巣宿に到着。
鴻巣は言わずと知れた人形の町。
至る所に人形屋さんがありました。
もうすぐ5月のお節句ですからね。
かき入れ時でしょうね
鴻巣宿とは・・・
当初現在の北本市に位置していたが、宿駅整備にともない1602年(慶長7)に現在地に移された。
鴻巣宿は中山道の宿場町であると共に、松山への吉見道、忍藩城下町(行田市)に至る忍道、騎西に向かう道の追分宿として賑わい、大きな規模の宿場町であった。
交通の要所だったんですね。
中山道とは全く関係ありませんが、鴻巣には私の父が勤めている会社があります。
で、仕事帰りによく買ってきてくれるお菓子があって、それがものすごくおいしいのです
今日鴻巣駅の前で発見してしまいましたよ。
そのお菓子屋さんを。
「サッシーのぐち」
洋菓子屋さんなのですが、ここの焼き菓子がおいしいんです
中でも私のオススメは鴻巣の地名にちなんだ「こうのとりサブレ」。
普通のサブレと違って、ちょっとソフトな食感が特徴。
これ食べ始めるとあっという間に1枚食べ切っちゃうんだよね
あと「こうのとりの玉子」っていうのもおいしい
これはスイートポテトをホワイトチョコレートで包んだもの。
スイートポテトとホワイトチョコが合うんです
いや~、お店が発見できて嬉しい
その後鴻神社の前を通り、またひたすら歩き、吹上駅に到着。
もうちょっと歩けるかなと思ったけれど、きりがよかったので今日はここで終了。
次回は吹上駅からのスタートとなります。
だんだん家が近づいてきたなぁ
中山道歩き第三回目。
今回は桶川駅からのスタートです
というわけで、桶川宿の途中から散策。
桶川宿とは・・・
江戸から出た旅人が最初に宿泊することが多い場所。
現在の町並みは、寛永12年(1635)にほぼ完成し、周辺地が口紅や食紅の原料となるベニバナの生産地として、出羽の最上に次ぐ全国2番目の生産量を誇るようになり、その問屋が店を並べるようになったため繁盛した。
荒川の太郎右衛門河岸から江戸へと出荷され売りさばかれたが、明治以降化学染料の普及でべにばなは衰退に向かう。
旧中山道と国道17号が分岐したため、道幅改修などのあおりを受けず、さらに戦災も免れたため、建築物も残り、宿場の面影を有している。
確かに浦和や大宮に比べてかなり宿場町の雰囲気が残っている感じがしました。
古い建物も多いし。
特に蔵が多い感じがしました。
穀物問屋木嶋屋の総本家・島村家の、1836年(天保7)建築木造3階建て土蔵。
別名「お助け蔵」。
この土蔵の建築工事は、天保大飢饉にあえぐ人々に仕事を与え、その報酬で多くの民が餓えから救われたことから「お助け蔵」と呼ばれるようになったのだとか。
他にもこんな感じで蔵造りの建物が。
ここは矢部家って書いてあったかな。
府川本陣跡。
桶川の中心地を過ぎるとしばらく何もありません
冷たい風が吹く中、修行のようにひらすら歩く・・・。
で、北本宿に到着。
ちなみに北本の地名の由来は・・・
江戸時代初期、この地が中山道の宿駅で本鴻巣村と呼ばれていた。
その後宿駅が現在の鴻巣の地に移されて、宿駅のあったところは本宿(元宿)村と呼ばれ、これが北本の地名の起こりとなった。
・・・のだそうです。
途中、中山道古道にある原馬室一里塚を訪ねるためちょっと現中山道を離脱。
線路沿いの細い道を進みました。
そして・・・
原馬室一里塚発見。
これは西側の一里塚。
東側の一里塚は高崎線を通すときに壊されてしまったとのことです。
本道に戻り、鴻巣宿に到着。
鴻巣は言わずと知れた人形の町。
至る所に人形屋さんがありました。
もうすぐ5月のお節句ですからね。
かき入れ時でしょうね
鴻巣宿とは・・・
当初現在の北本市に位置していたが、宿駅整備にともない1602年(慶長7)に現在地に移された。
鴻巣宿は中山道の宿場町であると共に、松山への吉見道、忍藩城下町(行田市)に至る忍道、騎西に向かう道の追分宿として賑わい、大きな規模の宿場町であった。
交通の要所だったんですね。
中山道とは全く関係ありませんが、鴻巣には私の父が勤めている会社があります。
で、仕事帰りによく買ってきてくれるお菓子があって、それがものすごくおいしいのです
今日鴻巣駅の前で発見してしまいましたよ。
そのお菓子屋さんを。
「サッシーのぐち」
洋菓子屋さんなのですが、ここの焼き菓子がおいしいんです
中でも私のオススメは鴻巣の地名にちなんだ「こうのとりサブレ」。
普通のサブレと違って、ちょっとソフトな食感が特徴。
これ食べ始めるとあっという間に1枚食べ切っちゃうんだよね
あと「こうのとりの玉子」っていうのもおいしい
これはスイートポテトをホワイトチョコレートで包んだもの。
スイートポテトとホワイトチョコが合うんです
いや~、お店が発見できて嬉しい
その後鴻神社の前を通り、またひたすら歩き、吹上駅に到着。
もうちょっと歩けるかなと思ったけれど、きりがよかったので今日はここで終了。
次回は吹上駅からのスタートとなります。
だんだん家が近づいてきたなぁ
いや~ホントよく歩くねぇ(´Д`)
でもやっぱ歩くと色々発見できていーよね♪
私も相方に恵まれれば歩いてみたかったわ・・・
一人歩きには距離がありすぎる。。。
鴻巣で地図見たら吉見がすぐ隣でびっくりしたよ!!
GWも遠出はしないで中山道を歩いているつもりw