前回六合エリアに来たときに時間がなくて鑑賞できなかった「野反ライン山口」。
時間がない中で慌てて見に来なくてよかった。
ゆっくりじっくり向き合いたい作品でした。
この「野反ライン山口」は建物全てが室井悠輔さんの《車輪の下》という作品。
もともとはジビエ料理などを出す食堂だったそうです。
割と最近まで営業されていたのですね。
ところで、作品とは直接関係ありませんが私自身の六合の思い出。
私が初めて六合を訪れたのは今から20年くらい前のこと。
まだ中之条町と合併していなくて六合村という村でした。
営業の仕事で来たのですが、この地を初めて目にしたときの感覚は今でもよく覚えています。
コンビニなど一軒もない一本道。
右側を流れる川はやたらと赤い。
そして、土もやたらと赤い。
何だか不安な気持ちになったことをよく覚えています。
夜になると辺りは真っ暗。
コンビニの灯りってかなり明るいんだなとそのとき初めて思いました。
とにかく灯りと呼べるものはほとんどない。
村役場のところにあった公衆電話の灯りがいちばん明るかった。
それくらい闇が深い。
ここまでの暗闇を経験したことがなかった私にはかなりの衝撃でした。
そんな中で私にとってオアシス的存在だったのが「道の駅 六合」。
お腹が空いたときに何か買えるような場所もなかったので、よくここで「入山かりんとう」を買って食べていました。
(入山かりんとうは揚げパンのようなかりんとう)
「野反ライン山口」はこの道の駅のすぐ北側。
当時は営業されていたはずなのですが、仕事中にお店に入って食事をするという発想がなかったので記憶に残っていないんですね。
今回のビエンナーレで「野反ライン山口ってどこ?」と会場に向かってみたら、例の道の駅の隣だったのでびっくりしたのです。
作品を観てすぐは頭の中がぐるぐるして考えがまとまらなかったのですが、作品を通して私が感じたことは、
私たちは「無意識」という大きな車輪に轢かれながら日々生活しているのではないか
ということ。
「野反ライン山口」が閉店してから長い時間をかけて、様々な生き物が建物の中に入り込み、時には建物そのものが罠になって生き物が死んでいく。
そのくり返し。
建物に入るとその死の気配を感じます。
そして建物の中には所々に作者が書いたと思われるメモ書きのような紙が貼ってあります。
そこには作者が今まで経験してきた生き物の死のエピソードが。
子どもの頃、友だちが無邪気に殺していた虫。
開けようとしたら大人に止められた、猫の足らしいものが出ている段ボール。
庭で死んでいたのに埋めたかどうかも忘れてしまったコウモリ。
全て同じ命なのに、無意識のうちに扱いが変わる。
私たちは何を基準に生き物を「保護」し「駆除」しているのか。
そしてその「保護」と「駆除」はときに人間同士の間でも行われているのではないか。
メモを読みながら建物の中を彷徨っていると、じわりじわりとそんなことを考えてしまいます。
作者の思い出の中の様々な動物の死。
それらとこの「野反ライン山口」の建物が重ねられているようにも感じました。
このお店で使われていた道具たちがまるで弔われているかのよう。
建物の中で様々な弔いの形を見たあとで外に出ると・・・
鳥獣供養塔が。
私たちは何を「保護」して、何を「駆除」しようとしているのでしょうか。
「無意識」に意識を向けてみるのも大切なのではないかと思いました。
この作品と出会えて本当に良かったです。
こういう出会いがあるからビエンナーレ回りはやめられません。