悲運の中宮-一條天皇皇后・定子陵-

2013-11-30 21:19:21 | 歴史あるトコ-京都
清水山から阿弥陀ヶ峰・東福寺に至る山麓一帯は かつては鳥辺野と呼ばれ、 風葬の地、死者の地でした。       関白・藤原道隆の長女として生まれ、 数14歳で、3歳年下の一條天皇のもとに入内した藤原定子。   この時代、「三后」といわれる天皇の嫡妻に与えられる地位は、 太皇太后は3代前の朱雀天皇の正妻・昌子内親王、 皇太后は一條天皇の生 . . . 本文を読む