第34代 舒明天皇は、名を田村皇子といいます。
女帝・推古天皇が崩御した際、蘇我蝦夷の後押しで即位しました。
父は第30代敏達天皇の皇子・押坂彦人大兄皇子。
母は同じく敏達天皇の皇女で異母妹、糠手姫皇女。
舒明天皇の時代、政治の実権は蘇我蝦夷にあり、
記紀にも目立った天皇の業績はありません。
舒明天皇13年(641年)、崩御。
押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)に葬られたそうです。
奈良県桜井市忍阪にある「忍阪段ノ塚古墳」が治定されています。
643年、滑谷岡(なめはさまのおか:明日香村?)に葬られてから、
翌年、この地に改葬されたようです。
母である糠手姫皇女も合葬されています。
江戸末期、墳丘の一部が崩落。
石室内部に2つの石棺があったと、村人が見たそうです。
形は「上円下方墳」とされていますが、
実際は上八角下方墳。
航空写真でみたら、前方後円墳に見えるけど・・・・。
というか、以前来たとき、こんな看板なかったのに・・・。
p(*´・д`・*)qにょ??
しかし拝所(白い鳥居の場所)からみると、
三段構成されている方形壇が、なんとなく確認できます。
(v´∀`v)...。oо○ナントナクネ
ここは山の尾根を途中、切り崩し、傾斜を利用した墳墓のようです。
この八角墳墓こそ、このあとにつづく天皇陵の墳形です。
平安時代に記された「延喜式諸陵寮」には、
「陵内に田村皇女(糠手姫皇女)押坂墓、陵域内に大伴皇女押坂内墓と、
東南に鏡女王押坂墓がある」と記されています。
それは・・・・・
そう・・・こっちの道です。
(次回に続きます)
一度、行ってみて
奈良県桜井市 段ノ塚古墳(舒明天皇陵)